失敗に落ち込んで立ち直れない理由

気持ちとの向き合い方

失敗してすぐに立ち上がる人もいれば、失敗したことについて、いつまでも悩んだり、暗い気持ちが続いたり、更にもっとエスカレートして、うつになったり、アルコールなどに依存してしまうこともあります。

今回は、失敗して立ち直れない理由について、心理学で取り上げられる「白黒思考」を紹介します。

こんな考え方が背後にある!ー精神的苦痛をもたらす白黒思考

白黒思考というものは、別名、オールオアナッシング(All or nothing)思考とも呼ばれ、現実的ではなく、凝り固まった考え方です。たとえば、「試験に落ちた→人生設計が狂った」のように、一つの出来事を、極端な意味で捉えてしまいます。

「落ち込んでいる」のは、気持ちです。「失敗」という事実に対して、自分が、「落ち込む」という感情を選択することによって、「落ち込み続ける」ことができます。「失敗」は確かに避けられなかったかもしれませんが、誰も人に対して、「落ち込み続ける」ことを強要することはできません。他でもない、自分自身が「落ち込む」感情を選択し続けてはじめて、「失敗」から落ち込み続けられるのです。

たまに、「あの人は本当に反省しているんだろうか?」と思うくらい、「失敗」してもコロっと元気に元通りになっている人がいます。その人にとってももちろん、失敗自体は好ましくなかったと思いますが、その後の感情の選択を、「失敗」から、「立ち上がり平常に戻る」気持ちを選択し続けています。

こうやって、感情を選択すると書くと、なんだか違和感を感じるかもしれません。というのは、ほとんどの場合、ある出来事によって、落ち込んでしまう、鬱ぎ込んでしまう、悲しくなってしまうというのは、無意識的に起きています。誰も「さあ、落ち込もう」「さあ、ひきこもろう」などと思って、行動しているわけではないからです。

無意識的に起きてしまっているというのは、自分でも気づきにくい感情の変化です。あたかも自分がこうなってしまったのは「失敗」が原因だと多くの人は捉えてしまいますが、実はその「失敗」という出来事の後の自分の感情の選び方が原因だったと分解して考えると、少しずつ、自分の状況を客観視できてきます。

自分の捉え方に「中間」を作る

自分を客観視できるようになると、自分が「失敗」に対して「黒」と決めつけていたに過ぎないことがだんだんとわかってきます。先ほどの例だと、「試験に落ちた→人生設計が狂った」ですが、「人生設計が狂った」と表現しているのは自分であり、実際は単に「試験に落ちた」ことにより「予定していたプランの変更が必要になった」に過ぎません。

そもそも「人生」という言葉を使うこと自体が極端で、1年や2年の話どころか、何10年単位の話にすりかえています。また「狂った」という表現も、かなり強いです。

試験に受かることが「白」、落ちたことが「黒」としているから、このような極端な発想を瞬時にしてしまうのです。白黒思考とは、◯か×、いいか悪いか、など、その中間を一切認めない思考の仕方です。結果に中間はなくても、自分の捉え方に中間はいくらでも作り出せます。世の中はそんな簡単に二者択一にすべてを分類できるほど、単純には出来ていません。

まして人の人生など、日々無数の選択をしている中で、何が良くて何が間違っているかなど、その瞬間瞬間の感情で判断しているだけで、振り返ってみて実際にどうであるかは正直なところはわからないこともあります。

実際には「今ここ」しか生きていないのに、まるですべてを悟り、すべてを分かったかのようなつもりになるのをもうやめて、実は「わからない」ということを謙虚に認めるとき、これまで白か黒ではない、他の選択肢の存在に気づけるのです。

灰色を探し、前に進む

白黒思考から自分の思考(落ち込む原因になっている考え方)を見直していくためには、効果的な質問を自分に投げかけることです。

白黒思考は無意識的に発生していることが多いため、「落ち込ませる原因になった考え方」について、深く思慮して、導き出したものではありません。先ほどの例だと、「人生設計が狂った」という考え方が即座に、無意識的に出てきた考えに過ぎません。自分を苦しめている考え自体にそもそも、明確な根拠があるわけではありません。

「失敗」そのものの事実に対してではなく、落ち込むきっかけになった「自分の考え方」に対して「そのように思う証拠は?」ということを落ち着いて考えてみます。

証拠がなければ、そもそも、苦しめている「考え」は絶対的なものでないのです。そうすると「黒」と決めつけていただけで、別の考え方をすることで、だんだんと、「灰色」のゾーンが見えてきます。

また、第3者の視点に立って、例えば「兄弟(友達)が自分のように思っていたら、どう思うか?」と考えてみます。

自分のことだったら、間髪入れずに「×」と定義することでも、もし他人事だったら、もっと冷静に違った見方をすることができます。よくよく考えてみると、実は「考えすぎ」だったり、「極端」だったり、「ひどく盲目的」になっていることにも気づけるのです。

こうやって、自分の考えの証拠を考えたり、第3者的な立場になって物事を見ようとすると、「失敗」に対して別の角度から捉えることができ、苦しみが和らぎます。

「失敗」したことは事実ですから、決して嬉しくないのは当たり前です。

でも、落ち込み、立ち直れないのは「失敗」が原因ではなく、自分が定義している別の「考え方」にあると気づくことは失敗から立ち直るための第一歩です。

それが分かれば、元気になって、立ち上がるためには、「失敗」を「成功」にさせることではなく、「失敗」から、違う考え方を持って、前に進んで行くことだと気づけるのです。