問題と一緒に幸せになろう
今日はバレンタインですね。
バレンタインは、私にとって、チョコレートの日でも、贈り物の日でもなくて、愛を伝える日でありたいなと思います。
町中にハートのマークが沢山見られる日。恋人への愛、父への愛、夫への愛・・・から友達への愛、職場の人への愛、そして、出会う人への愛。
愛には幸せを感じる。
結局幸せっていうのは、人を愛するときに感じるもの。
「あの人愛してくれない、私のこと大切にしてくれない」から悲しいのではなくて、「あの人を見て、自分の心が拒否してしまって、素直に愛せない自分が悲しい」だけ。
息子が引きこもりのお母さんも、娘がうつのお父さんも、夫が依存症の奥さんも、奥さんが浮気している旦那さんも、相手が愛してくれていないように思えて、人生真っ暗に感じてしまう・・・
「これほどまでに私を苦しめる相手」として見てしまうんです。そうすると、どんどん苦しくなってしまう。
本当は「自分の理想通りに」にいかなかった息子さん、娘さん、旦那さん、奥さんに、結局イライラして欲求不満になって、そうやって、本当は愛しかった相手を「素直に愛せなくなった自分」に絶望してしまっているのかもしれません。
自分の理想は、「問題のない日常」を目指しているんです。息子が仕事へ行けば、うつが治って元気になれば、お酒さえ飲まなければ、浮気さえやめれば・・・
そうやって問題を取り除くことに一生懸命になって、問題さえ取り除けば、幸せになれると錯覚してしまいます。
でも、自分以外の人と関わって生きていく時、問題が起こらないわけがありません。問題はいつでも起きます。それが自然です。問題が消えても、また新しい問題が来るだけです。
愛するということは、どれだけしてもなくなるものではありません。問題があっても、そっくりそのまま愛してあげる。「これでいいんだ」と受け入れることが負けでも、諦めでもありません。
目の前に起きている現実の問題がなくなってから幸せになろうとするんじゃなくて、問題と一緒に幸せになることを始めてみる。
問題があろうが、なかろうが、そんなことに関わらず、人を愛する時、得るものがあります。
それは「平安」です。
これこそが、幸せをもたらしてくれるのです。
素敵なバレンタインを。
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