「起きたこと」を肯定する。

2021/11/05勇気と挑戦, 気持ちとの向き合い方

ポジティブ思考はしない

起きたことはいつも肯定するようにしています。でもそれがポジティブ思考?かと言われると、少し違います。

ポジティブ思考は、何でもかんでもポジティブです。英語でポジティブとネガティブは、➕と➖を意味しています。電極の➕と➖のような意味合いをイメージしてみて下さい。電流計で針が➕(ポジティブ)に触れたり、➖(ネガティブ)に触れたりしますが、もちろん、これには基準値=つまり「0」があるから、➕、➖がわかるのです。

ポジティブ思考は、この➕の方に傾くことにすごく価値を置きます。何でもかんでもプラスに、良いように、そんな風に考えます。

私はそんな考え方をしないようにしています。というのも、とっても疲れてしまうからです。毎日、毎日、針を➕に近づけよう、近づけようとする考え方では、なんだか、いつも押されて、無理をしているような気持ちです。

「起きたことをいつも肯定するようにしている」というのは、電流計の針が➖だろうが、0だろうが、➕だろうが、肯定するという意味です。

仮に自分が60%だとします。その時、ポジティブ思考は、60%なのに、90%だと信じようとしたり、90%と捉えようとしたりします。でも、これは結局、本当の自分から離れてしまって、嘘が入っているんです。

起きたことを肯定するというのは、60%に対して、「60%ですごい。」「60%もある。」と考えることです。もっと言うなら、「20%じゃなくて、60%なんだ。」と思います。

こうやって、起きている全てのことを、ありのままに受け入れ、それをそのまま肯定することで、何が起きても、気持ちのジャットコースター(アップダウン)に乗らず、平常心を保ち、ブレない自分を作っていくことができます。

大転倒しました(笑)

最近、私ははかなりひどい転倒をしました。あまりに一瞬のことなので、一体自分でも何が起きたのか分からなくらいの突然の出来事でした。雨で濡れていたのか、足を滑らせてそのまま一直線に倒れたのです。

頭、顔、手、肘、おしり、太もも、足の付け根を打ちました。こんな大々的に転んだのは、子供時代を振り返ってもないくらいの勢いです。

周りの人も、えー!大丈夫?と声をかけられましたが、恥ずかしさもあったのか、当の本人は、本当に一瞬(多分1秒未満?!)で立ちあがって、特に何にも問題がありませんでした。

あまりにも突然で、且つ転んでから立ち上がるまでもあまりにも一瞬なので、「何かが起きたけれど、気づいたら、何ごともなくなっている」という感じでした。

そして、本当に幸いなことに、私は全然痛みを感じなくて、最初、少し、顔の側面に違和感を感じたのですが、それでも、特に問題なく、怪我の一つもなく、普通に歩けていること、元に戻っていることが嬉しくて、感謝いっぱいでした。

「あー本当に自分は守られている。あんな転び方をしたのに、何ともないなんて、どんなについているんだろう・・・」ということばかり考えていました。転んだのに、何だかすごく嬉しかったです。その日1日も、翌朝起きても、特に体は何も問題なかったのです。

私はあの日、少し慌てていたので、もっと自分は落ち着きを取り戻そう、もっと慎重に丁寧にやろう、とこれまでの自分を振り返る良いきっかけにもなったことに感謝です。

結果的に私は何ともなかったのですが、こういう出来事について、「それでもやっぱり転ばない方がいいに決まっている・・・」という風には考えるのを避けます。

なぜなら、「起きてしまったこと」からです。家族の問題でも何でもそうですが、「起きてしまったこと」に「でも、これさえなければ・・・」と考えるのは、本当に暗く、どんよりした気持ちへと突き進んでしまいます。

「怪我一つなく、本当についているなー」とも思いましたが、そこで、「本当についているなら、そもそも滑って転んだりもしない・・・」という考えも避けます。

これも、「起きてしまったこと」だからです。

こうやって、「起きてしまったこと」受け入れ、「起きてしまったことを」から学ぶ時、本当にただ「起きてしまった」何の価値もなかった出来事に、価値が見えてきます。

毎日は学びと成長の連続

毎日を送っている中で、何もかも思い通りにいくことがいい、と思ってしまうことがあるかもしれません。

順風満帆、自分の思い通り、問題もトラブルも、怪我も病気も何にもない・・・こんな日々は最高だなと思うかもしれません。

でも、何もかもが、「自分が考えている」思い通りにいくなら、同時にどんどん独り善がりにもなっていきます。

自分が自分の中で、「いい」と思っていた世界は、実は自分の頭で、自分の経験だけで考えている狭い視野の中にいます。

世界には沢山の人がいて、沢山の魅力もあって、自分が見えていなかっただけのもっと素晴らしい世界や、人生の深みや味わいがあることを「学び」を通して得ていきます。

学校の学びもそうだし、社会に出てからの学びもそうです。学びの仕方は色々な種類があり、色々な方法があります。そして、「経験」からの学びも立派な学びです。ある意味、最も自分の心にストレート(直球)な学びと言えます。というのも、自分が心で感じ、肌で感じるから、臨場感がありすぎるのです。

人生のどん底には宝があります。それは、学びという、自分が順調すぎたら決して得られなかった、大きな学びがあるからです。うまくいかなかったことから気づき、学んでいく、こうして、より世界を広げ、自分の人生をもっとより高みへ引き上げることができるのです。

でも、もちろん、宝は存在しているのに、「起きてしまったこと」を肯定して、受け入れないと、宝は見えてきません。学びには、意志を持って、変化、成長のための選択をする努力を積み重ねていくことが必要です。その一つが、「起きたことを肯定する」ことです。

ポジティブ思考はしません。ただ、「起きたこと」を肯定して、もっと最悪なこと、不幸なこと、嫌なこと、面倒臭いことが沢山あるのに、他でもない「これ」でよかったと「起きたこと」を受け入れて(だんだん受け入れるだけじゃなくて、感謝するようにも変わっていきます)、そして、その「起きたこと」から学ぶ・・・本当に、毎日は学びと成長の連続ですね。