苦しいのは愛があるから

気持ちとの向き合い方

朝日新聞の記事です。(2019/5/3)

精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」↓↓

https://www.asahi.com/articles/ASM4S4W2YM4NUCLV00C.html

感情の中で最もつらいものの一つは、人を憎んだり、自分を憎んだりすることです。なぜなら、憎むという行為は、存在をそのものを受け入れ難い感情です。そして、存在そのものを受け入れられないという思いは、生きるか死ぬかの瀬戸際までくるからです。

一時的であれ、「他人の存在がなくなればいい」と思った人は、強烈な痛みを経験しています。あまりの辛さと、悲しさと、絶望感に打ちひしがれて、その痛みから逃れるために、「他人」を消すか、「自分」を消すかどちらかの選択しか見えないほど、暗闇の中にいるのです。

本来、愛すべき存在を愛せない、受け入れるべき存在を受け入れられない、理屈ではどうしようもできない葛藤が、大きな苦しみなのです。

愛が枯渇すると、人の心は枯れてしまいます。心が枯れてしまうと、人とのつながりを求められません。人は孤独では生きられません。つながりを求められないのであれば、つながりを無くそうとします。

苦しいのは愛があるからです。

人として生きていく上で、最も美しくて、命の源になる「愛」です。その愛が、試練の中で磨かれています。

この世の中は不完全です。不完全な世の中に、不完全な愛があり、不完全な希望があります。試練を通して、その不完全さに出会います。自分の不完全に出会う時、相手の不完全を受け入れる愛が生まれてきます。

つながりたいけれど、つながれない。そのギリギリの葛藤の中で、愛が磨かれていきます。

人生で一番大切なことは、何をするか、どう見られるかではありません。どんな人になるかです。