そうなったこそ感じられたこと、見えてきたこと、分かってきたこと

気持ちとの向き合い方

昨日、左の中指を包丁で切りました。かなりスパンと切ってしまって、切った瞬間に親指で圧迫し続けました。

出血が止まった状態で指を見たかったので、10分くらい親指と中指をくっつけて、片手で過ごしていました。もういいかな・・・と思って、恐る恐る親指を話すと、出血がすごい勢いだったので、再び圧迫し続けました。

一旦止まっても、ちょっと力が入ったり、当たったりすると、またすぐにぶり返して、結果的に完全に止まるまで12時間以上もかかってしまいました。

自分でもびっくりです。相当深かったようです。注意不足を反省しました。

久しぶりにこんな怪我をしてしまい、本当に怪我のないありがたみを再認識しました。両手が使えると色々なことが早いんです。今は「早い」と書いていますが、それは片手生活に比べて、早いんですね。

でも、普通に両手が使えるときは、自分の行動が早いなんて思いもしないから、それこそ急いでいるときはもっと早く、早くなんて思ってしまうほどでした。

本当に、基準が変わると、見方が変わる・・・今まで与えられていたもので十分過ぎることに気付かされます。

 

 

怪我をした指を労わりながら1日を過ごしました。普段当たり前のように使えていたものが使えなくなるって、こんなにも大変になるんだなと改めて感じたのは、シャワーや服の着替えの時でした。片手で、左手に力を入れないようにして、身の回りのことをするのは思ったより大変でした。

その時に、本当に他人の痛みは全然わかっていなかった・・・ということも思い出したのです。というのも、夫が以前、手に怪我したことがあって、その時は、手の表面の複数にわたって傷口を持ってしまい、出血も相当なものだったんです。

でも、私は夫がどういう風に止血をしたのか、覚えていないんですね。その時、私はオンラインでセッションをしていたんです。夫のことにはお構いなしでした。

「あの時、彼は本当に大変だっただろうな〜」と、ようやく心から感じました。自分が小さな傷の止血に苦戦して、「あの日の夫もこんなんだったのかな・・・これ以上だったのかな・・・大変だっただろうな・・・」とすごく感じたんですね。

夫は私よりも回復力が早いのか、止血も短時間で済んだかもしれませんが、とにかく手が自由に使えない不自由さを夫も同じく味わったはずです。

すごく不便で、大変だったにちがいない・・・という同情を、自分が怪我をして、はじめて感じました

よく、大変なことや苦しいことを経験した人ほど、人の痛みがわかると言います。恐らくそれは、

「想像すること」と「心から感じること」

が全然違うからです。

人は、想像力を働かせて、もしくは何か外的情報を得て、「わ〜大変だろうな、痛いだろうな、苦しいだろうな・・・。」と想像します。でも、実際に自分が似たような体験を生身の身体、生身の心で経験したものは、想像ではなくて、現実なんですね。

頭でわかるじゃなくて、心で感じられるんです。

だから、骨折した人は、骨折の大変さが本当に「感じられる」し、愛する人を亡くした人は、その悲しみを本当に「感じられる」んですね。

人の気持ち、痛み、苦しみ、葛藤というのは、そう簡単にわかるものではないと謙虚になることはとても大切なことだと思います。わかっているようで、全然わかっていないんです。

うつ病、依存症や、精神的な病といった心の病気だってあります。日常の怪我も小さなものから大きなものまで、たくさんあります。現代医学では、説明ができない難病だってあります。

頭で知識を増やしても、こうした方がいい、ああした方がいいという知恵を得ても、相手が感じている痛み、悲しみ、葛藤、不安、孤独・・・などその気持ちは、もし自分も似たような経験をしているのでないならば、わからないんだと思って生きていく方が賢明だと思います。

中途半端にわかった気になってしまっているから、「ああした方がいい、こうした方がいい」などと言ってしまったり、思い通りにならないことに、自分で苦しみを呼び寄せ、葛藤してしまい、関係性に悩んでしまったりするんですね。

あたかも、自分の中に答えがある、分かっている気になっていることが諸悪の根元のような気もします。

もし、アルコール依存症の妻を持たれている方で、自分がアルコール依存症でないならば、やはり、本当の彼女の気持ちは分からないんです。

分かった気になって行動してしまうと、本当は分かっていないですから、関係ががうまくいかなくなってしまうんですね。

 

 

毎日、日々の中で様々なことを経験します。いいことも悪いことも。その経験した様々な感情が、他人の気持ちを知り、寄り添い、人間関係を作っていくのを助けてくれます。

以前わからなかったことが、自分も同じ苦しみや痛みを通って、わかるようになったり・・・以前は、全く無関心だったことに、心を寄り添えるようになったり・・・。日々、味わうことがそうやって、人の絆を深め、豊かにしてくれるものであるとも思います。

痛いことも辛いことも、悲しいことも、楽しいことも、嬉しいことも、人生で経験する瞬間瞬間の無数の感情が、人と人とを結び合わせ、お互いに心を通わせることのできるエキスとなって活きていくんですね。

だから、毎日の生活の中で、痛み・苦しみだけを取り除こうと躍起になる必要はないんですね。勿論、避けられることは避けていきたいですが、でも、たとえどのような場面になったとしても、

そうなったこそ感じられたこと、そうなったこそ見えてきたこと、そうなったからこそ分かってきたこと

が必ずあるんですね。

自分の心が感じた、その尊い感情を大切にしていきたいなと思います。