間違い探しをやめる(その1)

2020/02/02勇気と挑戦

人間関係でうまくいっていない人、境界線の侵入をしまくっている人って、
ほぼ間違いなく人の「間違い探し」をしています。

あの人のここ問題、あそこがダメ・・・とかね。

で、こういう話をすると、よく子供の時に言われた「人のいいところを探しましょう。」みたいなことをすぐ思い出して、そうできていない自分を責めたりする人もいるのね。

それも全然違う。

間違い探しをやめる=いいこと探しをする・・・ではない。

だってさ、たとえば暴力をふってきたり、悪口ばっかり言ってくる人に「いいとこを探さなきゃ、探さなきゃ・・・」ってそれはおかしいでしょ。

暴力はどう見たって悪いし、悪口も悪いよ。

なのに、あの人もいいとこがあるとかなんとか言っていると、本当に苦しくなってくるからやめた方がいい。

メシヤコンプレックスみたいに、自分が神様になったかのように、なんでも耐えるのよ・・・みたいなのも本当にやめたほうがいいです。

で、話を元に戻すと、この「間違い探し」って、なんでやめたほうがいいかというと、2つ理由があって、1つ目は、間違い探しをしている時って、自分の間違い探しはしないのね。つまり改善しないのね。2つ目は間違い探しすると、間違い探しされるのね。つまり、後々気分最悪になる可能性が高まるのね。

では、まず1つ目から。

算数の計算プリントがあったとして、自分のを丸つけする代わりに、人のを丸つけているのね。で、なんで人の丸つけているかっていうと、それって、結局、相手のこと知りたいんだよね。相手が5個間違えていたら、間違いなく自分のを見るでしょ。そして、もし自分が3個しか間違っていなかったら、少しホッとしたり、ちょっと優越感に浸ったりするわけよ。

つまりね、相手に間違い探ししている時って、結局、比較ね。自分と比べてどうかっていう。

あれ?自分の間違いも比較することで見ているじゃん!とか思うでしょ。

全然。全く見てないの。だって比較が目的になっているから。さっきの例だと、相手が5個で自分が3個の間違いがわかった時点で、恐らく終了。もうね、間違い探しの目的が完了しているの。

本当はさ、自分の3個の間違い、次に間違いないように、気をつけようとか見直しをしようとかしたほうが賢明じゃん。

でも、しない。目的そこにないから。

相手の間違い探しをするときは、ほぼほぼ、「自分の間違いは見ないで〜」ってなってる。自分に対しても相手に対しても。

他人の間違いを指摘している人の顔をよく見てみると、「私は何にも問題ないんです。」が前提になっているから。同僚の間違いを上司に告げる人とか。息子のできの悪さを夫に伝える人とか。

もうね、間違い探ししている人は、びっくりするくらい「間違い」なく自分見てないから。

ちょっと話ズレ始めるけれど、結局のところ、相手の間違い探しすることによって、自分への攻撃を守ってるの。以上。

相手の間違い探しをしている間は、自分が攻撃されない(というかできない)から、間違い探しし続けるの。

アル中で家族に文句を言い続ける人もそう。隙あらば、自分のお酒の問題指摘されちゃうでしょ。だから、間髪入れずに相手を責めるわけよ。お前のアレが悪い、これが悪いってね。

でね、真面目な人は真に受けちゃうわけ。その間違いの指摘に。そうして、落ち込むの。

私はこんなにダメな人間だ・・・とかね。で、苦しくなちゃうの。そんなはずはないのにってね。

そんなはずないよー!

が真実。間違い探しって、結局、人と比較して、自分を守ってるだけだって気づけば、「あっ、他人の間違い探しって意味ないんだ〜。」って気づくから。

私もだいぶ途中から、論点がズレている!?かもしれないけれど、そこも間違い探ししないでねー(笑)。

2つ目は間違い探しすると、間違い探しされるということについてだけど、長くなるので、また次のブログで書きま〜す。