たとえ周りに誰もいなくても
今日は資源ゴミの日でした。
前もって断捨離をして、まとめていた服の山を捨てる予定でした。
前日の夜は、もう少し整理できるものはないだろうかと、クローゼットの中を見て、手放すものを増やしたりしていました。
今朝、いつものように、資源ゴミ置き場に準備しておいた袋を出そうと回収場へ行ったら、そこに何もなかったんですね。
いつも段ボールの山とか、金属とか、洋服とか、色々あるのに、今日は何にもなかったんです。
果たしてもう持っていかれたのかななんて思いましたが、時間的にはまだ大丈夫なはず。
天気は、快晴だから、回収が天候に左右されたとも考えにくい・・・。
頭の中にクエスチョンマークが浮かびながらも、何もない場所に置けず、そのまま準備していた袋を家に戻しました。
その後すぐに、出かけたのですが、しばらくすると、資源ゴミ回収のトラックが、私たちの収集場所に向かっていくのとすれ違いました。
(あぁ、やっぱり予定通りだったんだ。)
と思いました。
〜〜
「赤信号みんなで渡れば怖くない」の心理だったなと気づきました。
みんなが出してないから出さない。出せない。
みんなが出してないと、なんか間違いかと思ってしまう。
みんなが出してなくて、自分のゴミだけが残ってしまい迷惑をかけたくない…
などなど。
そういう色々な気持ちが一瞬のうちにかけ巡ったんだろうなと思います。
思えば、みんながしていることにいかに安心していたか、
みんながしているという理由で、いかに行動を合わせていたか、
みんながしていることを自分もしていいことにしていたか…と気付かされます。
周りの人に合わせていく・・・
これはもちろん大切だし、時にとても必要だけれど、
もう一つ、
たとえ周りに誰一人、仲間がいなくても・・・
の精神もとても大切だと思います。
心は自分のものだから。
自分が感じたこと、
自分が気づいたこと、
自分が思ったこと、
自分がひらめいたこと、
・・・
いつも誰かがそばにいてくれるとは限らないんですね。
時に暗い小道を一人で歩いていかないといけないことだってあるかもしれない。
時に誰の足跡も見えない道を突き進んでいくシーズンがあるかもしれない。
そこを通れば近道なのに、
周りの人がいるか、いないかをいつも気にして、
いつも周りの人を探し求めていたら、
もしかしたら、大切な何かを見落としてしまうかもしれない。
そんな感じがします。
周りの人に支えられ、
周りの人から安心感をもらいながらも、
時に、自分の色を信じて、突き進んでいく。
誰もいなくても、前を向かっていく。
そんな強さも心は喜んでいると思います。
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