自分は自分。他人は他人。
悩みを抱えている人は、心が騒いでいます。
実際に、行動面においても、バタバタ、あたふたしていることもありますが、行動面だけではなく、
見た目は落ち着いていても、気持ちがすごく騒いでいるんです。
ざわざわ。そわそわ。
なんだか落ち着かない・・・。
騒いでいる人は、目の前で起きる一つ一つのことに、
反応しすぎ
なくらい反応します。
人間、ある一定の閾値を超えると、平穏を保てなくなるんですね。
“騒いでいる状態”
っていうのは、どこか限度を超えているんです。
人が言った何気ない一言とかにも、過剰に反応します。
だから、周りの人も気を遣うのが面倒くさくて、段々と本音で話すのを避けるようになります。
また、他人の問題なのに、自分の問題かのように真剣に取り組むのもそうです。
まさに、境界線の課題ですが、自分のやるべきこととか、やりたいこととかを後回しにしてしまいます。
そうして、ふとした時に、
「私、何やってんだろう?」
となってしまうから、また悩むんですね。
日常って想定外のことで溢れているんです。
自分以外の人間がどういう風に行動して、どういう風に反応して、どんな結果になるか、
自分とは全く関係ないところで動いています。
他人は他人。
ここにビシッと境界線を引かないと、心が騒いでしまいます。
依存症の家族が、飲んだくれで、足を滑らせて、スッテン転ぼうが、いちいち騒がない。
言われる筋合いのない?ような自分に対する悪いことを聞いても、いちいち騒がない。
うつ病の家族が、自殺したいと言ってきても、いちいち騒がない。
自分の意見を猛反対されたくらいで、いちいち騒がない。
言うのは簡単、やるのは難しいですね。
でも、自分が騒いでも、騒がなくても、他人は他人で、自分にはどうしようもできないとわかると、
自分の心の態度は少しずつ変わっていきます。
騒いでいる時って、他人の行動の火消しをしているんですね。自分が納得できる状態にするために。
だから、ついつい他人を変えようとしてしまうんです。
この世界は、自分だけのためにあるわけじゃないから、変わらない他人に騒ぐと、すぐに心は疲れる仕組みになっています。
あなたが他人のために生きているわけではないように、
他人もあなたのために生きているわけじゃない
んですね。
だから、他人は他人で好き勝手色々するけれど、彼らたちにも自由がちゃんとあるんですね。
だから、他人の権利奪ったり、批判したり、責めたりして騒ぐのは、やっぱり他人の領域への侵入です。
境界線の侵入なんです。
他人の領域は他人の領域。
他人の行動に絶えず反応するのをやめると、騒ぐ理由がなくなってきます。
他人の行動にいちいち反応したり、火消しすることに時間を使う代わりに、ちゃんと自分の人生に向き合って、自分の人生を前に進めることに集中する選択だってできるんですね。
他人を主役にして、他人に自分の人生のハンドルを握らせるのをやめる
だけで、自分の行きたいところへ行けるようになります。
自分の人生なのに、なぜか助手席に座って、「あっち行け、こっち行け」って騒いだり、
他人の人生なのに、なぜか運転席に座って、「あっち行こ、こっち行こ」って騒がない。
自分は自分。
他人は他人。
境界線を持つって、こういうことです。
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