人の欠点を見ないで生きる

気持ちとの向き合い方

他人の欠点が気になる時、他人の不完全さに納得できない状態です。そういう時は、他人をどうこうしようとするのではなく、まず自分の不完全さに気づくこと。

自分が不完全だということを心から認めると、他人の不完全に寛容になれるのです。

人はある一点が、他人よりできているからといって、他の全ても他人より優れているように錯覚してしまいます。でも、そんなことは決してないのです。人は積極的には自分の劣っているところをみようとはしません。だから、自分には持っていない他人が持っている良さを簡単に見過ごしてしますんです。

他人の欠点をよく見る人は、自分にも、とても厳しい人です。

他人には甘いけれど、自分だけには厳しいなんて、そんな器用なことはなかなかできなせん。

見た目は優しくて、人当たりよくても、自分に厳しいと、どうしても「自己評価軸」を持ってしまいます。この軸は、物差しになってしまうんですね。そして、心の中に物差しを持っていると、ちょっとしたことでも、すぐに白黒をつけて裁いてしまうんです。

どこか完璧を求めてしまうと、他人のだらしなさが受け入れられなくなってしまいます。

自分のできていないことは、後回しにして、他人のいやなことばっかりに目をつけて、ああでもない、こうでもないっていうのはすごくナンセンスな生き方です。

自分の問題に向き合いたくないからといって、他人の問題を目ざとく見つけて、ああでも、こうでもないっていうのも、とても寂しい人です。

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こんな方がいました。その方のお知り合いに、仕事ですごく成功していて、話も上手で、人気があるのですが、洋服とかアクセサリーとかがとっても派手な人がいたんです。

仕事しづらくない?ってほどジャラジャラアクセサリーをつけるそうです。

その方は、「あの人は、いい人だけど、アクセサリーがゴテゴテしていて、洋服も派手で子供っぽい。」
とか言って文句をつけていました。

そういう時、人のいい部分(例えば、成功している部分だったり、話が上手なところなど)だけ見て、洋服とかアクセサリーとかは、その人の好みなんだなーって受け流せばいいのに、

いい人だけど、自分にはできない「派手さ」を持っているから、なんとかケチをつけてしますんです。こうやって、どこか自分を正当化しようとしたりするんです。

自分は「こんな派手にはしないなー」って思っているなら、素直にしなければいいだけだし、
もしくは、洋服とかアクセサリーとかの部分は、「あの人は、まだあんまり大人になっていないんだなー」って思ってもいいわけです。

いちいちケチつける必要は全然ないです。

ケチをつける人に限って、どこか、自分はそこまで派手になりきれないのを気にしているのかも。もしくは、憧れがあるのかもしれません。

もし、そうならそうで、今度は素直に「堂々色々つけられて、すごいなー。」って思えばいいだけの話です。

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周りの人のいいところを見なさいって、小学生の先生がよく言っていました。でも、これを有言実行し続けている大人たちはどれくらいいるのでしょうか。

周りの人の欠点に注目するのをやめ、自分にはない素晴らしいところに注目したら、

相手のいいところにもっともっと気づくことができます。
そうしたら、相手のことをもっと大切にできるようになります。大切にできる人に囲まれていると、自分もどんどん幸せになっていきます。

特に家族に対して。そして、大切な仲間に対して。