完璧主義を捨てる。

2021/11/05勇気と挑戦, 気持ちとの向き合い方

私は以前、完璧主義でした。

ただ、「自分は完璧主義だ」なんて深く意識していたわけではありません。時間をかけて、自分の行動やパターンを振り返るうちに、「あ、私は完璧主義な傾向があったんだな。」と後から気づいただけです。

自分には完璧主義の傾向があると知って、初めて、自分が持っている問題の一つに向き合うためのスタートラインに立てたような感じです。私の完璧は全然「完璧」でもなんでもないとわかってから、この主義を持つ意味のなさに気づき、随分と楽になりました。

完璧主義は、ない方がいいです。オリンピックの選手が、金メダルを目指すとかそういう話なら、別です。

ほとんどの完璧主義は、自分の主義、思考に関わってくるものなので、「完璧」を求めるは、自分のハードルを高くし、追いつめる考え方です。というわけで、完璧主義のデメリットについて3つ書いていきます。

完璧主義のデメリット1:心が満たされない

まず、デメリットの一つが、いつまで経っても心が満たされません。完璧主義の人は、現状にあまり満足しないんです。

少し周りを見渡せば、自分の恵まれた環境に感謝の気持ちがいつも湧いてきてもいいくらいなのに、「完璧」を求めるあまり、目の前のちょっとしたことに満足しません。というより、できません。

そういう人は、完璧=(多くの場合、「理想」)を求めないと成長が止まってしまうんじゃないかと思ってしまいます。人は誰でも上昇したいし、今よりより良くなりたいもの。これは誰でも持つ根本的な欲求です。

現状維持のままだったらどうしようとか、下降してしまったり、改善しなかったらどうしようなどという気持ちから「完璧」を求めていると、そこには「恐れ」があるんですね。

この恐れが危険なんです。

恐れから出た行動には、どこか取り繕っていたり、嘘が隠れています。そして、それらの嘘は、自分を精神的にしばりつけ、だんだんと苦しくなってくるんです。

完璧主義のデメリット2:相手への要求基準が高くなる

もう一つのデメリットは、自分の「完璧」を求める人は、人にも「完璧」を求める傾向が強いんですね。

考えてみれば当たり前です。人は一人では生きていけないのだから、自分の「完璧」を追求するためには、自分と関わる他人に対しても、知らず知らず「完璧」を実現してもらわないと、自分の「完璧」が成立しないんです。

まして、家族となると、要求は強くなります。身近な存在なので、いとも簡単に自分の「完璧」を投影してしまいます。そして衝突や喧嘩につながってしまいます。

完璧主義のデメリット3:求めている「完璧」は実は存在しない

そして最後のデメリットは、冒頭に私がちらっと書きましたが、「完璧」なんてやっぱりないんですね。

「完璧」を人からどう評価されるかとか、自分の「理想」にどうマッチしているか・・・それくらいの基準でしか見れません。すごく主観的なものなんです。

人からどう評価されるかは、自分がどれだけやったところで、最終判断は他人に帰属します。自分の「理想」についても、もし自分の「理想」がとんでもなく高いところにあったら、いつまで経っても決して届かない「完璧」を目指してしまうかもしれません。

だから、「完璧」云々じゃなくて、1日、1日、それでも自分は頑張っている、成長しているとどこまで受け入れられるか・・・の方がとっても大切なんですね。

それには他者との競争が入ってしまうと決して実現しません。自分が自分に肯定する。この練習なんです。

目指していることがなかなか実現しなかったり、目指していることで、なんだかイライラしてしまったり、思うように進んでいないようだったら、そもそも自分が考えている基準を見直すことは大切です。

これは負けを認めることでも何でもありません。ただ宙に浮いた「完璧(理想)」を現状と照らし合わせた適正値に戻すだけです。

赤ちゃんに必要なのはミルクです。その次に離乳食になって、柔らかい食べ物です。そして次に固い食べ物です。

何でも順番があります。

何でもあったほうがいい、何でも与えたい、もらいたいからって、万全の準備をして、赤ちゃんに固い食べ物を渡しても全く意味がないように、現在にふさわしくない高いレベルの「完璧」は邪魔で足手まといにさえなってしまいます。

今ままでの「完璧」をもう求めない自分を許容しましょう。「それでもいいんだって」なると、心がすっと楽になります。