「幸せになる」から「幸せを感じる」へ

気持ちとの向き合い方

「幸せになる」とは?

「幸せになりたい」という思いは誰しもがあります。人生の目的は「幸せになること」という人もいます。人の行動は幸せになるための行動がほとんどです。幸せになるために、仕事をしたり、家族を持ったり、食べ物を食べたりします。

「幸せになる」は「なる」という言葉が使われています。「なる」というのは、「成る」と表現できて、ある状態から別のある状態になることを指しています。例えば、「先生になる」とか、「お母さんになる」とかの表現と同じです。

それまで先生ではなかった人が、先生に、これまでお母さんではなかった人が、お母さんにと、状態が変化しています。状態を変化させるためには、例えば、先生なら、何か免許を取ったり、研修をしたりして、先生という状態を手に入れます。お母さんなら、子供を持って、初めてお母さんになれます。

「なる」というのは、その状態になる前の自分に「何か」が加わることによって、実現できるのです。そう考えると、「幸せになる」というのも、今の状態に何かしらの条件が加えられることによって実現します。人によっては自分の成功イメージが実現することだったり、家族を持つことや結婚することだったり、お金や出世だったり、ある人からの承認かもしれません。

逆に言えば、「幸せになる」は、そのような条件が実現しないと、なかなか得られません。なので、いつまでも幸せを「手に入れる」ような感覚が残ります。

感情にすぎない「幸せ」の正体

幸せというのは、本来、どこまでも「感情」です。「感情」以外の何物でもありません。愛する人に愛されているから幸せだな~と感じる、毎日必要なものが与えられ、生活できることに幸せだな~と感じる。実は、何かを「手に入れる」のではなく、「手に入れた」ものから、幸せを感じるか、感じないかがほとんどです。

同じ出来事を経験していても、人によっては幸せと感じるし、感じない人もいます。幸せはどこかに置かれている「既製品」ではなくて、どこまでも、感情で、風のように流れているものです。

幸せは「感情」と捉えると、これまで「幸せになる」ことを考えていた時と別の見方ができます。「幸せになりたかった」時は、何かモノ(状態)を手に入れようとしていました。

でも「幸せを感じる」のは気持ちの話なのです。そして気持ちはいつでもどこでも、他のどこかからモノ(状態)を探すのではなく、自分自身から作り出されます。

幸せを感じることを怠らない

「幸せを感じる」ための第一歩は自分を「幸せにする」と決めることです。結婚式の時にする男女の誓いがあります。まさにこれも「幸せにする」約束です。確かに人生は、時に難しい時もあり、困難なこともあるけれど、それでも私たちは手を取り合って「幸せにする」努力を怠らない決意です。

「幸せにする」と決めて、「幸せを感じる」ためにすぐできることから始めます。人によっては丁寧にお化粧をすることかもしれません。自分が綺麗だなと感じること、魅力的に鏡に映ること、これだけで、気持ちを明るくすること成功し、幸せを感じることができます。

もしくは部屋を片付けをして、ものを減らすことかもしれません。きちんと整理された空間にいるだけで、その環境を維持していることに幸せを感じることができます。

たとえそんな些細なことでも、幸せを感じることを怠りません。もし、幸せに大小をつけているのなら、まだまだたくさんの「幸せ」を取り逃がしています。幸せが「感情」とわかれば、幸せを感じることに、大小はありません。ただ自分の欲といそぎ足が、目の前にある幸せを軽視して、逃してしまうことがあるだけです。

幸せに「なろう」とするんじゃなくて、意図的に「幸せを感じる」ことです。それは、どこかから「手に入れる」ことではなく、「内側」から感じることです。内側からいつでも無尽蔵に生み出すことができるものです。たとえ、目の前が悲惨で、悲しくても、必ず、幸せは再び湧いてきます。

幸せを感じることに集中することで、とりこぼしていた沢山の幸せに気づけます。そして、そこで幸せをたっぷり感じることが、また新しい幸せを呼び起こす力になってくれるのです。

幸せ

Posted by kokoronoeiyo