考えていることのほとんどは自分視点
この間、友人と食事をしている時に、「大切な友達から、重大な決断を言われた。そんな大きな決断、一言相談して欲しかったのに・・・。そのことを言ったら、何もかもあなたに言わないといけないのかって結構強めに言われちゃった。決断があまりに大きいだけに、そんな大切なことすぐに決めちゃったことが本当に心配で・・・。」と話していました。
私は相手の友人のことも、(私にとっての)友人の友人が、何の決断をしたかも分かりません。ただ、ため息まじりに心配そうに話す目の前に座っている友人を見て、ちょっと考えさせられました。
カウンセリングの仕事をしていると、大きな決断といえば、このような類のことかなと推測してしまいます。ただ、今回は、友人との会話で、まったく情報がない中なので、本当に実際に何があったのかはわかりません。
それはいいとして、友人が言っている「すぐに決めちゃったことが・・・」というのは、本当にそうかどうかは分からないなと思いました。
伝えられた方にとって「すぐ」でも、決めた本人にとっては、どれくらいの時間経過なのか分りません。
人生の転機になるような決断・・・例えば就職とか転職、結婚、離婚、別居、引っ越し、長く所属していた何らかの集まりを退会するなどなど、こういう転機の時、人によってはスパッと決める人もいますが、多くの場合、色々なことを考えながら決めます。
ある出来事がきっかけで、衝動的に何かしらの決断をしてしまうことは確かにあるでしょう。でも、多くの場合、本当に大きな決断というのは、本人の中でものすごい長い時間模索したり、葛藤したりしているんですよね。
友人が聞いたのは、「突然」だったから驚いたようでしたが、その友人の友人からしてみれば、本当にものすごい長い間、苦しい思いをしていて、何度も何度も考えながら、ようやく決断して、そして、人に初めて話せたかもしれません。もちろんそうでないかもしれません。
それは分かりません。でも、この「分からない」ということが結構大切で、本当に分からないと分かっているのなら、分からないことに対して、自分の視点で、「そんなすぐ」にとか、「もっと考えたら」というのは安易には言えないと思います。
人生の課題にどう向き合い、どうするかは結局当事者しか分かりません。人の適当なアドバイスは時に自分本位であったり、相手の状況を全然わかっていない中での発言かもしれないということは往々にあります。
たとえば離婚1つでも、その人が離婚に至る経緯として、誰も見ていない二人だけの関係の中で、実際に夫婦間の間で何があったのか、それは本当のところは他人はわかりません。それをああだこうだ判断することは誰もできません。
「人の気持ちなど分からない」という事実は、実はこの表現以上に、すごく奥深く、大切なことだなと思います。人は勝手に分かったふりをして、「一度話したほうがいいのに」、とか「もっと時間をとって考えたらいいのに」とか、「その決断を回避できる方法だってあるのに」と言いますが、結局のところ、相手のことをどこまで理解して、知っているかと言ったら、あんまりどころか、全然分かっていないことだってあるんです。
人から聞いた事実の中で、「自分にとって」ピピッときたところを、自分の中で勝手に取り上げて、ああだこうだ言っているだけにすぎないかもしれません。人のためにとか言って、いいことであろうが、考えていることは、実はほとんど自分視点だったりするんです。
聞いてほしいだけの時は聞いてあげる。アドバイスを求められたなら、できるアドバイスをする。
相手から求められているわけでもない時に、自分の中でああだこうだ心配して、ああしたらいい、こうしたらいいって思うときにチラッと考えたいことーそれは、今自分が考えていることは、実は「自分視点」になっていて、もしかしたら、相手のこと何にも見えていないかもしれないよってことです。そうやって、一度疑ってみるくらいの気持ちがあれば、「自分視点」から「自分」をどんどん取り除いていくことができて、その方が、よっぽどスムーズな人間関係に繋がりそうです。
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