「人に認められたい」と思う気持ち
今日のこころの栄養をお届けします。
テーマは、「人に認められたい」と思う気持ちについてです。
人は誰でも、「人に認められたい」という思いがあります。その度合いが強いか弱いかの違いはありますが、全く思わない人はいません。
なぜなら、人は一人で生きていけない生き物で、常に人とのつながりを必要としているからです。もし「人に認められない」なら、つながりが断たれる危惧を意味し、孤独になれば、死活問題です。
だから、根源的には、誰でも「人に認められたい」と思っています。
この「人に認められたい」と言う気持ちが強すぎて、悩んでいる人がいます。こういうタイプの人は、真面目で、頑張っている人が多いです。
そして、いつも物事を改善しようと努力します。そうやって、自分を深く見つめ、自己成長を図っていく中で、自分の中に「人に認められたい」という思いが潜んでいて、実はその思いが激しく強いことに気づいたりします。
すると、この真面目なタイプの人は、「こんな自己中心的なことばかり考えているのはよくないことだ。」と自分を戒め始めるのです。どこかに後ろめたさや罪悪感が出てきて、それが悩みの種になってしまうんです。
最初のうちはいいでしょう。でもだんだん辛くなってきます。
「人に認められたいなんて、打算的だ。心からしなくては・・・。」「人に認められたい気持ちが強すぎるから、自分を見失う・・・」とか色々考えたりするんです。
せっかく、自分を深く洞察して、自分を改善させようとしているのに、また、自分の性質に気づいて、それを責め始める・・・これは辛いです。
では、どうすればいいのでしょう?
「人に認められたい」という思いが自分にはあるとわかったら、それをNGとは捉えなくても大丈夫です。どうして、この思いに後ろめたさを感じたり、何か罪悪感を感じるかというと、実は、「自分の欲望」に集中しているからなんですね。
自分本位な欲望を持ってしまっていると思ってしまって、それに注目してしまうから、辛くなってしまうんです。
でも、「人に認められたい」人は、同時に、「人を喜ばせるのが好き」な人です。
人に認められたい人っていうのは、結局のところ、人を喜ばせます。なぜなら、人が誰かを認めるときは、その人のやったこと、言ったこと、成果などを喜んでいます。
だから、「人に認められたい」と言う自分の欲求ではなくて、「人を喜ばせるのが好き」と言う他人視点の欲望に注目すればいいんです。
悩んでいた自分に、「あ、実は、自分は人を喜ばせるのが好きだったんだな」って受け入れます。
人を喜ばせる・・・これってすごく素敵なことです。
人を喜ばせよう、喜ばせようと常日頃から考えていれば、人がついてきます。
人がついてきているのは、つまり人に認められているってことなんです。
だから、自分にとって嫌だなと思う欲望や思いが自分のこころにあったとしても、無理やりそれを取り除こうとしたり、なんとかしようとあくせく苦しむ必要なんてありません。
ちょっと見方を変えて、言葉を変えます。
すると、自分がすんなりアクセルを踏める思いがちゃんと出てきます。
「人に認められたい」って最初に思った素質は、何も悪いものじゃないんです。
それを自分勝手な解釈をしてしまうと、罪悪感を感じてしまいます。でも、裏を返せば、純粋に「人を喜ばせたい」と言う思いでもあったんですね。それを素直に受け止めてみてください。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません