親をどれだけ悲しませようと関係ない!?
目次
飛び降りる勇気が必要
前回、アドラー心理学「嫌われる勇気」課題の分離1(7)で、「これは誰の課題なのか?」ということを明確にして、他者の課題を切り離すことで、余計な悩みを解放することについて書きました。
理屈ではわかっても、なかなか実践レベルでこれをすることは難しいです。アドラー心理学は勇気の心理学と言われるように、最後には「勇気」を必要とするんです。
たとえば、バンジージャンプで、支度も全て完了した後に、ちゃんと最後に飛び降りるか、降りないかのような最後の勇気です。しかも、確実に安全ベルトが付いていて、自分の前に沢山の人が既に経験していて、たとえ落ちてもネットが張ってあるような、行楽地でのバンジージャンプではなく、紐は透明で、ネットもなく、人影すらなく、雄大な大自然の中で、飛び降りるような「勇気」です。一言に勇気と言っても、その求められる度合いは様々です。
心理カウンセリングは、心の悩みをテーマとして扱います。心理カウンセリングというと、「共感」とか「傾聴」とか、「癒し」とか、そんな優しく、ゆったりとしたイメージが強いかもしれません。もちろん、自分の思いを口にすること、吐き出すことでの症状の軽減という効果はありますが、本当に回復するためには、最後にはやはり「変化」が必要です。今までの自分のパターンを変えるということです。
どれだけカウンセラーに聞いてもらって、「ああ、すっきりしたな」と思っても、自らが「変化」のための勇気を奮わないのなら、問題は一時的に緩和したように見えて、また浮かび上がってきます。
この「変化」こそ、まさに「勇気」が求められる部分です。
「悩みのほとんどは対人関係なんだ」という前提に立つと、アドラー心理学の主要なテーマである課題の分離は極めて重要で、さらっと流すのにはもったいなすぎるテーマです。
ということで、今回は前回よりも、もう少し具体的に、深く、課題の分離を理解できるように、少々ストレートな表現を使って、この記事は書いていきます。
親をどれだけ悲しませようと関係ない!?
課題の分離に中途半端な「分離」は存在しません。分離というからには、やはり分離するのか、しないのか、二者択一です。対人関係のほとんどの問題は実は「癒着」が原因です。
✔︎相手を思い通りに動かそうとすること
✔︎相手の発言に敏感に反応し過ぎること
✔︎相手がどう思っているかを勝手に想像すること
✔︎自分の正しさを相手に主張しようとすること
✔︎主張したいのに、うまくできなくて、怒りを内側に溜め込んでしまうこと
・・・などなどです。
結局は全て、踏み込むべき課題でないところに首を突っ込んで、悩んでしまっています。
進路選択をするとき、就職選択をするとき、結婚相手を決めるとき、もしくはもっと日常の決断で、たとえば、帰省する日を決めるとき、休暇の過ごし方を決めるときなども、「親が認めてくれないから」とか、「親が悲しむから」とか、「親の手前、帰省しないと」とか、親の意向を考えて、悩んだり、不本意な選択をしているようでは、要注意です。
なぜなら、これらはすべて、「親がどう思うか」という本来は他人の課題である領域に入り込んでしまっているからです。
「でも、親だから。」とか、「家族だから。」とか、「親をサポートしなくてはならないから。」とか、「親にサポートしてほしいから」とか、様々な理由が瞬時に頭の中をよぎることがあると思います。でも、結局は、これらを「理由」という盾に使って、自分の目的を遂行しているだけなんです。
「親の理解を得ることは当たり前でしょ」と思うかもしれません。しかし、最終決断によって、人生を歩むのは、親ではなく、自分です。大学に通うのも、仕事をするのも、結婚して生活するのも、自分です。「親の理解を得られるように努力をする」のは自分の課題ですが、最終的に、「親がどう思うか」は完全に自分の領域外であると認めます。
親ではなくて「自分」を選ぶ勇気
「親が同意してくれないから、できない」と思える時、実はそれは、自分自身が「親の同意がなしにやる勇気と覚悟を持っていない」のであって、親が同意するか、しないかは親自身が決められることであり、親の課題(つまり他者の課題)です。
結局は、「親の太鼓判なしには自分自身が自分の選択に自信を持てない」という自分の課題であって、そこに向き合う代わりに「親の課題」に介入して、本来向き合う課題から逃げようとしています。
こういうことは、日常茶飯事に起きることです。そして、その瞬間瞬間は、いちいち誰の課題かなどとは考えられないかもしれません。でもそうやって、自分の感情に合わせて過ごしていると、すぐに悩みの渦に巻き込まれていき、気づいたら、落ち込み、鬱ぎこんでしまいます。
親を大切にすることは素晴らしいこと。でも、親はいつでも親自身が自由に考え、自由に行動する権利を持っています。そして、親の意向が自分の理想と異なることももちろんあります。
その時、選び取るのは、親ではなくて「自分」を選ぶ勇気です。人生の主役は自分であり、最終決断の責任は自分しか受けることできないからです。
もし、たとえ今、親の言うことを聞かずにある選択をして、それがうまくいかなかったと思って後悔していたとしても、反省するべきことは、「もっと自分の選択に覚悟を持って取り組もう」ということであり、「あの時親の言うことを聞いていれば・・・」ではありません。存在しない過去を見ようとするのも、また問題を直視することから逃げてしまっています。
自分にとっては見たくないところを見る、自分の選択を自分でとる、これもやはり「勇気」が関わってきます。勇気を持って、他者の課題に入り込まない。その意味で、「親をどれだけ悲しませようと関係ない」という徹底的に他人の課題に線を引く考え方は、自分の課題に対して、正直に向き合うよう導いてくれるのです。
そして、人の変化は、自分の課題にどれだけ向き合うかによって、「自分」の人生に変化が起きてきます。そうなると、他者の出方によって、自分が影響を受けることがどんどんなくなっていきます。まさに自由な人生、幸せな人生の始まりです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません