目標に向かって心が折れそうな時の対処法
今回は、日常の中で、目標に向かってなかなか思うように進めず、心が折れそうな時の対処法についてです。
目標って言うと、「えっ?そんなものは特にないよ」と思うかもしれませんが、少し、自分の心と向き合ってみると、何かしらの理想であったり、希望であったり、目指しているものだったり、得たいものがあるはずです。
それらが全て目標です。
それでも思い当たらなければ、「毎日何のために生きているんですか?」と考えてみたときにシンプルにふと頭をよぎるものでもいいです。
目標を持つことは、いいことか、悪いことかと聞かれたら、いいことに分類されるイメージが強いです。というのも、学校のテストで何点を取るとか、会社で何の成果をあげるのかとか、いつもそんなことを考えさせられるのが日常の環境です。だから、目標はどうしても、あったほうがいいもの、必須事項みたいに捉えてしまいがちです。でも、果たして本当にそうでしょうか。
目標そのものに対する見方を変えることで、避けられる悩みもあると思うので、そのことについて3つの視点から紹介します。
目次
1)目標を見ないこと。
目標はあるけれど、ただ存在しているだけで、毎日の生活の中では、それに注目することを思い切ってやめてみます。いつも目標を確認し、目標を意識することで、目標達成できると言う人も言います。もしそうすることで、目標が達成できて、そのやり方が気に入っているのなら、もちろんそのやり方でいいです。
逆に目標があると、それを達成できない自分を否定したり、理想像を固めすぎて、プロセスである日常を楽しめなかったり、精神的に苦しくなっている人は、思い切って目標を手放してみることです。目標を見ないことをします。目標はあくまで「未来」のことで、未来のことはどんな人でも関与できません。
与えられている時間は「今」だけです。目標に注目するとその瞬間は必ず、私たちの心と体が簡単に、「今」を離れてしまいます。「今」を離れた心と体が、「今」を正常に歩めません。「今」を正常に歩めなければ、「未来」も何も不確定要素がますます残ります。
「今」から離れたら、足元がぐらついてしまいます。「今」から離れたら、悩みが増えます。「今」から離れたら、自分から離れてしまいます。
自分から離れたら、心が折れます。目標に向かって心が折れている時は、少なからず目標の見過ぎ、意識し過ぎ、目標のことばかり考えすぎていることがあるんです。人が目標設定がいいというからといって、盲信する必要は全くありません。自分に合うやり方を、選んでいけばいいんです。
2)目標期間を1日にすること。
「~のために~する。」この「~のために」が曲者です。
なぜなら、「~のため」になった途端、その「~」が得られるまでの間、感じられるまでの間の日々は、なんか下位の段階にいるような気持ちになってしまいます。リハーサルとか練習とか準備とか・・・。そんな感じです。
「~のため」の期間が長ければ長いほど、最悪です。もしそれが数十年単位だったら、その間はずっと2番手、3番手の時間になってしまいます。何十年も。そんなことがあっていいわけありません。
若い時は若い時、中年なら中年。年寄りなら年寄りで、それぞれ人生の味わいがあります。それなのに、自分で重要度をつけてしまうのは、本当に心を折れさせます。
「~のため」に使われる日々も、変わらず、大切な1日に変わらないのに、その事実を認めないのは苦しい生き方です。目標を達成する前の1日も、達成した後の1日も同じです。
誰がなんと言おうが、1日は同じ1日です。真理に逆らうことは、疲れさせます。
だからこそ、目標スパンを長く保つことは、危険です。長くて、「今日1日」です。寝る前までです。そう思うと、肩の力がスッと抜けてきます。
よくわからない未来のことを考えるのをやめます。ある意味、無計画に生きること。こう言われて、「そんなの、心配!」じゃなくて、「今日が連れて行く人生を受け入れられないことが問題」だと気づきます。
少々厳しい言い方ですが、結局のところ日々を充実させる自信がないから不安になっているのです。目標云々より、たった今日1日を充実させる工夫と努力を始めてみる。実は、それだけでも、かなり難しいことがわかります。
3)欲張りをやめること。
目標に向かって心が折れているとき、目標にばっかり意識が傾いています。できないことばかりを見ています。隣にいる夫や妻のことも、子供の何気ない笑顔も、誰かがくれた笑顔も、気にもとめません。
そんな日常の些細なことは当たり前。とにかく自分の目標達成が欲しいという状態です。
「ないものは欲しい。あるものはもう当たり前。」こんな感じの欲張りになっています。
すでにあることに感謝すること、すでにあるものから幸せを生み出すことを学ぶこと。そうしないと、たとえ目標が手に入っても、また新たな目標が間髪入れずにできて、いつまでも満たされない欲に振り回されることになります。そんなの、不健康ですよね。
振り回され続ければ、色々なことが本末転倒にもなり始めて、もはや目標がなんのためかも分からなくなってきて、心が折れてしまいます。「自分の欲張り」を認めて、今日の日常の些細なことに感謝すること、目の前のことにもっと関心を持つこと・・・を少しずつ始めます。生きるという実感はやっぱり、「今」からしか湧いてきませんから。
以上、3つ紹介させていただきました。
目標に心が折れているときは、視野が狭くなっています。目を見開いて、「今」の時間をよく観察することを始めれば、案外、目標に振り回されて「どうでもいいことに悩んでいた」と気づくかもしれません。
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