友が旅立ちました。
今日の夕方、私の大先輩でもあり、大切な友人が亡くなったという連絡が来ました。彼女に最後に会ったのは昨年の11月。大きな病気を患っていたことは知っていたけれど、まさかあの時が最後になるとは思ってもいませんでした。「まさかあの時が・・・」別れはいつも突然です。
夕方に連絡を受け取った後は、数十秒ぼっとして、その後、子供のようにワンワン泣きました。そして、頭の中で、彼女との思い出が、スライドショーのように1枚1枚思い起こされました。
彼女が亡くなった今日も、私はいつも通り、ご飯を食べ、夜に約束があったので、そこへ向かいました。本当に、「死」というのは日常の一つであると感じました。誰かが亡くなっても、世界は動き続ける。一人一人が絶え間なく動く日常の中で、ぽつんぽつんと死んでいき、絶え間なく動く日常の中で、今日もどこかで新しい命が生み出されています。
どんな人でも「死」があることを考えると、私たちは本当にいつも「終わり」のある毎日を過ごしているのだなと心から思います。
1日の終わりは、夜が来て、寝るとき。この世での人生の終わりは、死ぬ時。
人は誰でも、苦しい時、悲しい時、辛い時、その場から逃げ出したくなって、どうにもならない現実に、憤り、葛藤しますね。でも、それも「終わり」があるんです。
「終わり」があることをもっともっと理解したいです。「終わり」があるから、「今をどうやって生きるのか」が見えてくるから。
人に傷つけられて、そして人を傷つけて、自分の惨めさや虚しさから、人を裁いたりして、自分の自信のなさや焦りから、人に競争心を燃やしたり、嫉妬したりして・・・そんなつまらない次元にいつまでも留まっているのは、本当に愚かで、悲しいことです。
「自分の思い通りにすること」が人生の目的であるなら、生まれてこないほうがいいーそうではなくて、せっかく、この沢山の人が、共有しあって、助け合って生きるという世界に生まれたのなら、この世界に自分は何ができるのかを考えて、一生懸命に生きて、次世代にバトンを渡していきたいですね。
つまらない欲望の奴隷になったりすると、苦しみの毎日を過ごしてしまったりするんです。そうではなくて、今日もこの1日、生かされていることに感謝して、生きていきたいと思います。
今日、私が大切な人を亡くしましたが、彼女がまた私に「終わり」を身近にしてくれたこと、そして、彼女との出会いを通じて、教えられたこと、励まされたことを自分の心に生かして、引き継いでいきます。
今日旅立った大切な友を偲んで。
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