「お前にだけは言われたくない」の正体

2020/09/12悩みの正体

家族に対して、友人に対して、
心の中で、もしくは面と向かって、

「お前にだけは言われたくない!」
と思う時。

それは、言っている内容が云々じゃなくて、
単に相手を見くびっている。

野菜は体に良いとか、
テレビの見過ぎは目が悪くなるとか、
デザートを食べ過ぎるな、
もっと大きな声で、

とか、日常のどんな些細なことに対して、
もし心の中で、一瞬でも、

「お前にだけは言われたくない!」

と言う思いが芽生えたら、
どこか人をジャッジしている。

そして、そのジャッジが結局は自分を苦しめる。

言葉よりも先に、人を見てしまうから、
もはや言葉は入ってこない。

コミュニケーションが崩壊する。

相手の言った言葉が、たとえ、明らかな事実でも、
「あいつ」が言うから、聞けない。
「あいつ」に言われるからカチンとくる。

 

ホームレスに、
「お金は大切に使いなさい。」
と言われて、カチンとくる人は、

言った内容の言葉は既に聞いていない。

事実は事実で、良い内容は良い内容なのに、
誰が言っているかによって、判断する。

相手への軽蔑見下し上から目線が、
「お前にだけは言われたくない」
の中には含まれている。

放置していると、人間関係は壊れていく。

 

〜〜

自分のこころの中に、人をジャッジする気持ちがあると、
何よりも自分を傷つけてしまう。

「お前にだけは言われたくない」
まるで、自分の強さを表しているかのような言動によって、
逆に自分を苦しめる。

他人をジャッジする人は、
ほぼ間違いなく、自分をジャッジする。

だから、苦しむ。

他人に対して、
「お前にだけは言われたくない」を抱く人は、

自分も、人から見下されるのではないか、
軽蔑されるのではないかと、絶えず恐れる。

その結果、
「お前にだけは言われたくない」
と言われない人間にはならないように努力しようとする。

そうやって、どんどん他人軸に生きていく羽目になって、
結局は自分を見失う。

たとえホームレスに、
「お金は大切に使いましょう」
と言われたとしても、

「あ、そうだ、お金は大切に使わないといけない!」
と言葉そのものに対して、
ちゃんと自分の判断ができる人は、
相手によって、意見を受け入れたり、拒否したりはしない。

ちゃんと事実を事実と受け入れ、
正しいことを正しいこととして受け入れる。

だから、自分が人に対しても、
正しいと思うことを言うことにも躊躇しない。

自分をそのまま表現することに躊躇しない。

逆に、「お前にだけは言われたくない」
を心に抱く人は、

自分に対しても、
「こんな自分が言ったら、馬鹿にされるんじゃないか。
相手にされないんじゃないか。」
と、自信を失い、ビビってしまう。

そうやって、自己表現、自己実現する機会をどんどん失ってしまう。

少しでも、「人から認められる」完璧を目指してはいくけれど、
決して完璧にはなりきれないから、
自己否定したり、虚栄に走ることもある。

こころがどんどん重たくなってくる。

人を見ずに、
相手がどんな立場だろうが、どんな体型だろうが、
どんな性別だろうが、背景を持っていようが、
ただ、言われた言葉をその言葉として、
受け入れたり、受け入れなかったりすれば、
物事はもっとシンプルになってくる。

シンプルに、
ありがたいことにありがたいと思う。
ためになることにためになると思う。
嫌なことに嫌だと思う。
反省しないといけないことに反省する。

人を見て、変に歪ませたりしない。

他人をジャッジすることをやめると、
自分へのジャッジもやめられるようになってくる。

逆も然り。

自分をジャッジすることをやめると、
他人へのジャッジもやめられるようになってくる。

ジャッジがなくなると、
失敗しても、成功しても、
だらだら過ごしても、頑張っても、
怒られても、褒められても、

変な解釈を入れずに、事実を事実として、
そのまま受け入れ、ちゃんと現実が見えてくる。

続けることは続け、
不要なものはやめ、
現実に対して、
現実的な対応ができるようになってくる。

「あいつに言われた!」ことがきっかけで、
怒って、悩むことがどんどんなくなってくる。

こころが軽くなってくる。

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