「可哀想だから言えない」の理由

悩みの正体

言いたいことがある。

でも・・・

「可哀想だから言えない」

「可哀想だから言えない」と思う時は、必ず、本当は言いたいことがある。

言ってみたらどうなるのだろうか?

多分相手は、傷つく・・・
と予想している。事実かどうかは別として。

もしくは、相手は怒るかも・・・
と予想している。事実かどうかは別として。

多分相手は、悲しむ・・・
と予想している。事実かどうかは別として。

もしかしたら、面倒臭いことに巻き込まれるかも・・・
と予想している。事実かどうかは別として。

 

相手を傷つけたり、怒らせたり、悲しませたり・・・面倒臭いことを引き起こす自分は何?
と考える。

最悪だ。
ってなる。

もしも、予想していた通りになった場合、
「自分は最悪」な存在になっちゃう。

だから、言いたくない。言わない。

 

 

相手が「可哀想」だからじゃなくて、
自分が「最悪な存在にならない」ためのリスクヘッジ。

自分が「最悪な存在」になる可能性があるくらいなら、言いたいことの一言くらい、二言くらい、我慢しよう・・・って思っている。

だから、言いたいことがあって、
言えない時は、めちゃくちゃ自分に保険をかけている。

自分嫌われたくない。
自分最悪と思われたくない。
って。

これらの考えは、結局、自分ごと。

相手のことまるで目にもないし、
自分のことだけ考えている。

見せかけだけは、
相手を傷つけたくない、怒らせたくない、悲しませたくない・・・と言っているけれど。

でも、本音は自己中心。

 

 

だから、「可哀想だから言えない」時は、

「自分には少し我慢と無理があるけれど、でも、いいこと(正しい)しているな〜」
とは思わないこと。

逆に「あ〜、自分に保険かけて、リスクヘッジして、自分中心に考えているんだな〜」
って知る。

事実じゃない時に、自分を「いい人」と思うのは、やめた方がいい。

本当は「いい人」でもなんでもないのに、「いい人」と思うことは、
自分に嘘をつくことで、自分に嘘をつく人生は、しんどいから。
嘘の人生は、こころが重たくなる。

正直に、「あ〜自分は自分のことばっかり考えているんだな〜」
って思えばいい。

それだけ。

 

 

そしたら、「可哀想だから言えない」ことで、自分はイライラとか、
ストレスになるとか、そういうのはなくなってくる。

自分のためにやっていることだから、我慢や感情の抑制ではなくなってくる。

冷たい言い方だけど、相手のことなど実は本当は何も考えていないから。
自分にとって都合のいいことしているだけ。

相手を責める必要もなくなる。
相手をジャッジする必要もなくなってくる。

自分にとって都合のいいことしているだけだってわかるから。

 

そして、もっと先に進むなら、
自分も自分のことばかり考えて、随分とクソみたいなところあるから、
相手のクソみたいなところに対しても、「まっいいか」って大目に見てあげられるようになってくる。

そしたら、段々と、「可哀想だから言えない」的な上から目線もなくなってくる。
そんな偽善に騙されないで生きられるようになる。

自分に正直になると、緊張がほぐれていく。

怒る対象が消えていく。
いい意味で、「まっ、いっか。」ってなってくる。

リラックスしてくる。

 

心が軽くなってくる☺️