つまらないことには、つまらないと感じる
先日、Zoomで、ある講座に参加しました。
人から紹介されて、たまたま時間が空いていたので参加しました。
最初は、ビデオもつけて、ちゃんと講座を聞こうと思っていたのですが、途中からすごく眠くなって、その日の体調もあったかもしれませんが、あくびが止まらなくなりました。
自分の正直な気持ちは「つまらない」でした。
でも、不思議なのが、自分はつまらないと思ったのに、
「つまらないと思ってはダメだ」
とどこか必死で、自分がつまらないと感じたことを否定しようとしている自分がいたんですね。
つまらないと思うことに問題がある、捉え方がおかしい、つまらない面にしか気づけないのがおかしい・・・と。
頭の中で、
「とにかく、講座自体は受けてよかった」とか、
「それはそれで、良かった」、
「興味のない分野が分かったんじゃん」とか
・・・
どこか、つまらないと思った感想を消そうとしている自分がいるんですね。
これって、すごく正直じゃないなと思いました。
他の誰かにとっては、確かにすごく意義があって、面白い内容だったり、ためになる内容だったり、興味深い内容だったとしても、私にとっては、つまらなかった・・・これを受け入れられなかったんですね。
感情に対して、無意識の中で、勝手に自分で、良い感情、悪い感情みたいなものをすごく区別していて、自分が感じていい感情、自分が感じてはいけない(好ましくない)感情みたいなものを持っていたな、と気づきました。
私にとって、「つまらない」という感情は、劣等生のような、あまり所有したくない、自分の中に受け入れたくない、排除したい感情だったんです。だから、本当はつまらないと思ったのにも関わらず、必死になって、どこか正当性を見つけようとしていたんだと思います。
つまらないと思ったことは、素直に、つまらないでいいと思います。
そして、つまらないを受け入れてあげた方がいいと思います。ちゃんと自分の感情のセンサーを機能させてあげるんです。
自分の感情に嘘をつく価値はどこにあるのでしょうか。
自分の感情を塗り替える必要はどこにあるのでしょうか。
私がつまらないと思ったことで、たとえ他の誰かが喜ばなかったとしても、少なくとも、自分は自分に正直になることで、自分に嘘をつかなくて済む、このことはとても大切なことだと思います。
自分が、つまらないと思うことに、ちゃんと、「つまらない」を感じてあげられないと、面白いと思うことに対しても、ちゃんと「面白い」を感じてあげることができなくて、どこかいつも人に合わせたり、どこか何か演じている様な自分になってしまったり、本当はそこそこつまらなかったことに、興味深かったとか嘘をついたり・・・そんな嘘の毎日は、とても虚しいです。
私は、自分が本当に面白いことを、面白い、つまらないことはつまらないとしたいと思います。
そして、私がとても面白いと感じることを、他人はすごくつまらないと思うこともあれば、私がとてつもなくつまらないと思うことを、他人は凄まじく面白いと思うこともあるということをちゃんと受け入れたいと思います。
自分の感情を大切にすることで、他人がどう思うかも、ちゃんと尊重できます。
あなたもこう思ってほしい、同じ様に感じてほしい・・・なんて、境界線の侵入も甚だしいもの、失礼なことです。
私は、つまらないことには、つまらないと感じることを選びます!
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