向上心を持ち続ける生き方は、落ち着きのない生き方
人と会話をしている時、
「以前は〇〇だったけれど、今はだいぶ〇〇では無くなった」
〇〇は、例えば、人と比べてしまう〜とか、人を赦せない〜とか、同じことでくよくよ悩んでしまう〜とか。
あんまり自分が持ちたくないもの、否定的なもの、改善したいと思っていたことなどが入ります。
人のこんな言葉を聞くときに、「へえ〜いいな。私はまだ全然〇〇だよ〜」とか、思っていたりしました。
だけど、今は、そもそも、
以前は〜〜、今は〜〜。
という、自分の進歩を自己評価して、自分に満足したりすることを、いちいちしなくていいし、求めていかなくてもいいかなと思います。
というのは、自己評価をすることで、自分を肯定したり、満足したり、受け入れたり、褒めたりすることは、それ自体はすごくいいこととも思うのですが、
同時に、それは自己評価をすることで、自分を否定したり、自分に対して、満たされない気持ちになったり、自分を受け入れられなかったり、自分を責めたり・・・とそういう思いも抱いてしまうという、両極性を持っているなと思ったからです。
いいことを評価するのは、やっぱり悪いことの基準もあるからこそ、いいこと、評価できるものにスポットライトを当てるのかなと思います。
昨日よりも今日、少しでも成長できた!というのはとても素晴らしいです。でも、どこかすごく心にはプレッシャーがかかる、緊張感を持つ生き方にもなり得るのかなと思います。
私自身は、学生の頃から芽生えた性質で、向上心というものがすごく育ちました。少なくとも、ずっと向上心を持っていたなと自覚しています。恐らくは、勉強による評価のためです。昨日よりも今日、少し賢くなる、少しでも点をあげる・・・勉強を通して、この習慣を癖づけしてしまったと思います。
やがて、私の向上心は、常に過去に比べて、現在が「成長している」と感じたい欲求へと変わり、この思いがすごく育ってしまいました。
もちろん、自分の素質のことなど、完全には分からないですが、元々、持っていた素質ではないと思います。子供の頃は、その日1日のことだけしか考えていませんでした。日が暮れて、夕焼けになると、寂しそうに公園を後にする。家に戻ると、母が作った夕飯の匂いに引き寄せられ、気持ちが高まる。そうしているうちに夜になり、寝る。また朝が始まる・・・。
その日が、昨日と比べてどうこう、1年前と比べてどうこうなんて、もちろん、全く考えたりしませんでした。
向上心というものは、良いものというように捉えてきました。成長への起爆剤とか、前向きとか、ポジティブとか・・・
でも、今は、
向上心を持ち続ける生き方は、落ち着きのない生き方
と捉えます。
向上心を持っていると、基本的に、
時間の流れ=成長の流れ
になることを求めてしまうし、前提しとしてしまいます。
「昨日より今日をよりよくする」ことを良しと考えてしまうところがあるので、まるで1日1日が、戦いのように、何か勝負をしているかのように、測られているかのような、そんな忙しさがあります。
アップダウンすること、つまり、良い時もあれば、悪い時もあるよとか、落ちる時もあれば、上がる時もあるよ的な見方をどこか許容しない、受け入れない、常に右肩上がりを求めるかのような、少々息の詰まる窮屈さがある様に思えます。
向上心とは、心が上を向くと書きます。
「心が上を向く」ことはとてもいいことだと思うんです。でも、いつしか、その意味を、
心が上を向き続けること
に書き直すとどうでしょう。私は、今こうして、その文言を書いただけで、息苦しさを感じます。
もし、向上心が、いつの間にか、この、「心が上を向き続けること」に変わってしまったら、どこか縛られるような不自由さを覚えるのです。
というのも、やはり心は上を向き続けませんから。
心は横を向くし、脇道にそれるし、もちろん、下も向くし、右も向くし、左も向く・・・心の状態なんて、本当によく変わるもの。それが自然だと思います。
喜怒哀楽・・・感情豊かなのが人間です。だから、そういうものに上とか下とか定義しちゃうと、苦しくなってしまいます。
私は、向上心など、なくていいと思います。
むしろ、上からも下からも、右からも左からも、他人からも、環境からも、色々な方向から、心が揺さぶられても、
これが私
ってちゃんと自分を持っている・・・これでいいと思うんですね。もちろん、風が吹けばなびくんです。少しバランスを崩しそうになることもあるんです。でも、倒れない。地面にどっしり、しっかり根をはった木々は少々の風ではなびくだけ、台風が来ても、軸を守るんですね。
「自分が昨日より成長しているかどうか」・・・そんなことどうでもいいと思います。
成長していることに満足感を覚えることで、成長してないことに凹むきっかけをより高めるくらいなら、そもそも、「自己成長」なんてこと自体を考えなくていいと思います。
ただ生きて、今日も1日、その日を生きた、それだけで十分じゃないですか。
ある意味では、日々、老化している・・・それを私は日々成熟していると捉えます。
つまり、ただ生きているだけで、実が熟すと考えるわけです。
今、冷蔵庫に緑色のアボカドがありますが、ただ置いているだけで、身が熟します。
1日1日、どっしり構えて、落ち着きを持って生きていく。それでいい、それがいい・・・そう思える今日この頃です。
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