3歳児検診で感じたことー保健師とのやりとりから

気持ちとの向き合い方

3歳児検診のために、市役所へ行きました。私の子供ではなくて、友人の子供の付き添いです。外国籍の友人で、日本語がわからず、通訳のためにサポートしました。

普段の生活の中で、子供と関わる時間はほとんどないので、あんなに集中的に3歳児に特化して見たのは、私にとってとても非日常で、新鮮でした。

3歳児検診と言っても、あまり何をやるのか把握していなくて、サクッと終わるのかと思っていたら、簡単なレクチャーの時間があったり、面談の時間があったり、問診があったり・・・盛りだくさんでした。

保健師さんも大勢いて、体制が整っているなとびっくりしました。同時に、子育てのサポートはすごく充実しているなと感じました。

保健師との面談のなかで、3歳児の発達確認のために、いくつかの質問の時間があるんですね。保健師が投げかける質問に対して、ちゃんと答えるか、どう答えるかで、成長具合を見るそうです。

名前は何?とか、いくつ?とか、あとは、絵を見せて、どれが食べ物かを聞いたり、書かれている図の色や大小について聞いたりします。

私の友人の子供は、私ともすごく親しく、私が話しかけても、いつも快く答えてくれるとてもフレンドリーな子供です。

ただ、たまたまタイミングが合わなかったのか、いつもならお昼寝の時間だから、眠かったのか、保健師から質問された時は本人は、全然答えるムードじゃなかったんです。

お母さん側から質問してみても、私からしてみても、全部ダメ。もうやだ!答えたくない!の態度になっていました。保健師から普段はどうですか?と質問され、私の友人曰く、もちろん、家では全部答えられる質問ばっかりだし、他人から聞かれても、普段は答えているそうです。

たまたま、その時は、ご機嫌斜め・・・子供ならそんなことよくあることだと思います。それに、保健師は日本語で、それを通訳されて・・・なんだかごちゃごちゃ・・・混乱してしまったのかもしれません。

結果的に、まずは別の検診に進んで、終わったあと、もう一度やってみましょうということになりました。

その後、検診を全て終え、再び保健師に呼ばれて面談開始です。なぜか、別の部屋に案内されたので、周りに人はいなく、私たちだけでした。

最初の面談と同じような質問をされました。今度は、最初よりはご機嫌よく、色々と言葉を発してくれました。赤色を見て、ちゃんと赤と言うし、緑色を見て、緑と言い、いくつか絵が描かれている本を見せられたときは、これは車、服、バナナ・・・などとちゃんと答えます。

でも、肝心な質問に対しては答えずでした。例えば、保健師の意図は、赤色を見て、赤色と答えるのではなく、様々な色の中から、どれが赤色ですか?と聞いているので、指で指すなりしないといけないんですね。また、色々な絵が描かれている本も、どれが食べ物ですか?と聞かれているので、食べ物の絵を示す必要があるんです。だから、質問には答えられていないと言う判断が下されました。

保健師は、ものを見て、これはバナナ、車とかいうことは、1歳児でも言えます。そして、食べ物とかそういうジャンルでわかるのは、2歳児くらいから言えます・・・とか言い始めるんですね。保健師からのお話が始まりました。

当然、私の役割は通訳なので、母親である友人に伝えるんですが、ただ保健師の言葉を聞いている中で、正直、心の中では、不安を煽るような表現や言い方もあって、え?そこまで言う?そんなこと言ったら、不安にさせちゃうよ〜って思う気持ちが湧いてきました。

他の子と比べてどうかとか、教科書と比べてどうかとか、本来はこうなのに、この子の場合は・・・とか。もちろん、保健師というのはその分野のプロですし、専門家の話です。とても有益な話だと思います。でも、私の友人は、既に答えない子供を前に、保健師から質問され、普段は答えるんですとか、大丈夫です、気になってません、とか、それについては言えていますとか、答えてるんですね。

だから、もうお母さんが大丈夫だって思っているんだから、もういいじゃんって、正直思ってしまいました。

でも、保健師の解説は止まらなくて、別のおもちゃを出してきて、また測ろうとしたり、試みが続きました。幼稚園に上がって、集団行動が始まったら、改善するかもねとか、言語の壁というものがどうしてもあるから、言葉の成長が遅れてしまうとか・・・色々と言われました。言い方はすごく優しかったし、言っていることももちろん、最もらしいことだけど、でも、言語のこと、国籍のことなんて、変えられるものではないし、そんなの異国で育てているんだから、日本人の夫婦が日本で育てた子供と少し違うのなんて、当たり前だし、そこをいちいち指摘されるのが、なんだか可哀想だなと思いました。

ようやく面談が終わった時には、全ての子供の3歳児検診が終わって、もう私たちだけになっていました。

保健師はすごく親身になってくれていたのですが、私はやはり、本人が問題視していないことは、もうそれでいいと思うんです。自分が大丈夫だ、問題ないと思っていたことでも、こうやって他人にわざわざ指摘されると、問題でないと思っていたことが問題に見えてくる、大丈夫と思っていたことが大丈夫じゃないと思えてくる、平気と思っていたことが、実は支援が必要なことに変わってくる・・・見方が変わってしまうのは、こういう何気ない保健師の一言だったりするんじゃないかなと思います。

私の友人は、とても落ち着きのある、芯がしっかりしている人だから大丈夫と思いますが、あんな風に言われたら、人によっては、お医者さんに言われたから、保健師さんに言われたから・・・と必要以上に心配になったり、気を揉んだりする人もきっといるだろうなと思いました。

人に不安を与えるような発言は、私は好きじゃないです。もちろん医者は癌を宣告します、教師は間違いを指摘します、母親は子供を注意します。それは目的がはっきりしていて、これからのために行われることです。

でも、子供の発達だとか、言葉が遅いとかなんとかは、ただ見守ってあげる・・・これができることだと思います。

専門家は、特に、言葉は慎重に選んでほしいなとすごく思いました。さりげなく言われた言葉がずっと引っかかって、子供をみる時にフィルターがかかっちゃったりとか、余計な心配を抱えてしまったりとか、それがストレスになっちゃたりとか、何も言われなかった時の方が、よほど楽しく子供と過ごせていた・・・そんなことになってしまったら、すごくもったいないし、残念なことに思います。

大丈夫と自分が思えていること、それは、もう大丈夫です。色々な人が色々なことを言ってくるかもしれませんが、私は自分が大丈夫と思っていることを、他人の言葉で不安に変えたり、恐れに変えたりしたくないとすごく思いました。

また、同時に、人に不安を与えるような言葉、自信を失うような言葉も言いたくない、人への言い方、接し方、時と場合、立場・・・そういうものをもっとデリケートなものとして、大切にしていきたいと心から思いました。

さりげない一言が、何十年も心に残る・・・なんてこと・・・決して稀なことじゃないですから。

私の友人も、その子供も、私にとってもとても大切な人です。彼らが今まで自信を持って育ててきたのだから、これからも大丈夫、その子のありのままを尊重しながら、歩んでいってほしいなと心から思います。

 

 

Posted by kokoronoeiyo