これからどうしていきたいのか
人の悩みや問題を聞いている時、延々と自分がどれほど大変で、どれほど苦しくて、どれほどしんどいかについて話しをする人がいます。
私は、話を聞きながら、正直、羨ましくも思います。というのは、自分は全然痛みを話せる人ではなかったからです。私も、自分の心と向き合う中で、少しずつオープンになってきましたが、とにかく自分をガチガチに防衛をしていたので、痛みも弱さも何も言えなかった自分が長らくありました。とても精神的には窮屈だったと思います。
今は、心を開くことにあまり躊躇わなくなったし、そして、むしろ、もし、誰か聞いてくれる人がいて、こんなことが痛い、こんなことに苦しんでいるとオープンに話せる機会があるなら、話したほうがいい、心の内を話せるということは恵みだと思います。
そして、自分の痛みや問題に向き合った後は、次に考えることは、
「これからどうしていきたいのか」
であると思います。この質問がないと、なかなか先には進めない。そして、またこの質問は、そんなに簡単に即答できるものでもない・・・のは事実だと思います。
シンプルに聞こえて、とても深く、考えさせられる質問であり、また一方では、未来への一歩でもあり、希望にもなりうる質問です。
「これからどうしていきたいのか」を考えるときは、自分視点で考えることはすごく大切だと思います。「あの人が〇〇になってほしい」「この人とこういう風な関係になれば」と咄嗟に他人が出てくるのは、自分を更に悩みへのループへ巻き込んでしまう可能性があるんですね。
それは、単に「他人は変えられないから」という意味だけでなく、「これからどうしていくか」に他人を巻き込むことが、「自分にできること」をあえて過小評価することにつながり、低く見積もることにつながり、その結果、「あまりできることはないじゃん」と自分を見てしまい、自分に失望してしまうからです。
「自分にできること」と「自分にできないこと」の見極めはとても難しく、また、この線引きもとても難しく、どれだけ「自分にできること」に集中しようと思っても、思えば思うほどに、「(自分にできない)〇〇がこうなれば、ああなのに」と、どうしても「自分にできないこと」にスポットライトを当てたくなってしまうかもしれません。
確かに、自分に向き合うということは、容易いことではないと思います。というのも、自分に向き合うなら、結果、自分の行動に向き合うこと、つまりは自分の行動を変えていくことにつながっていくからです。
人は基本的に変化を嫌います。慣れ親しんだ性格、慣れ親しんだ価値観が、例えそれが自分を苦しめるものであったとしても、親しみがあって、変化するよりは楽だと思ってしまうんですね。
だから、性格のせいにしたり、環境のせいにしたり、年のせいにしたり、病気のせいにしたり・・・してしまうこともあるんです。そう思ってしまうのは、とても自然だと思います。
そう思うと、「これからどうしていきたいか」なんていうのは、とても冷たい風に感じてしまう、何かタスクが与えられるような重さがある、少し自然に抵抗するような、なんか方向転換が求められるような思いがして、できれば、スルーしたいという・・・本当は一筋の光を見せてくれるかもしれないのに、その質問から逃げようとするんですね。
そんな矛盾と戦うこともありうる質問が、まさにこの「これからどうしていきたいのか」だと思います。
この質問は、確かに重たさがあるけれど、同時に、「これからどうしていきたいのか」を考えないことは、裏を返せば、現状の悩み、問題に留まる決意を意味するものです。そして、それもまた、現状がハッピーでないのなら、とても辛い状況です。
「これからどうしていきたいのか」の質問は、確かに、自分の現状の行動の変化が求められるという点において、ハイリスクではあるかもしれないけれど、一方で未来を創っていける希望があるという点においては、ハイリターンの質問であるんです。
「これからどうしていきたいのか」それは、自分の心に素直になるチャンスだと考えます。この質問に痛みを感じるなら、尚更リターンも大きい兆しと捉えます。
悩みに対して、問題に対して、誰かに話を聞いてもらったり、気持ちを吐き出したりして、とことん向き合ったら、その後は、ぜひ「これからどうしていきたいのか」に移ること、それは、自分の気持ちを、心を大切にするということに繋がります。
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