大変な状況にいる家族に気軽に「大丈夫?」と言わない方が良い理由
自分の家族が辛い状況を通っている時、病気であったり、気持ちが落ち込んでいて、うつ状態になっている時・・・こんな状況の時、周りにいる家族は心配になり、何とか早く再び元気になってほしい、立ち上がってほしいと思う気持ちになります。
そんな時、「大丈夫?」という言葉をつい言ってしまうかもしれません。
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「大丈夫ですか?」は言う側の都合
ちょっと人と道ですれ違った時に、身体が当たってしまって、「大丈夫ですか?」と聞きます。
相手が何もなかったか、自分が問題を起こしていないかの確認のためです。自分が問題を与えていないかということについて、この質問で相手から承認を受けることができます。日常的にはこんな風に気軽に使える便利な言葉です。
でも、家族が大きな病と闘っている時、うつ状態が長引いて、ひどく落ち込んでいる時、外に出ることさえできず、自分に自信を失っている時・・・こういう時は、まず大前提として、相手は大丈夫ではありません。大丈夫になりきれないのです。痛かったり、辛かったり、毎日を送るのが必死で、言葉通り、生きるか死ぬかの中で、必死に「生」にしがみついているような状態が本音です。
家族はそんな姿を見ると心配で仕方ありません。早く立ち直って欲しくて仕方ありません。それこそ、家族が一番欲しい言葉が、相手からの「大丈夫だよ」という言葉です。
相手を気遣い、相手に寄り添いたい気持ちが十分にあるからこそ、つい「大丈夫?」と聞いてしまうます。でも、それは知らず知らずのうちに相手に「うん。大丈夫。」と言わせてしまうかもしれません。
本当は、全然大丈夫ではないのに、大丈夫とすることは、相手の心にとって、とても負担がかかることです。どこかありのままの状態を拒絶しないと、大丈夫とは言えないからです。
本当に深刻な状況にある時、乗り越えない壁が険しい時、気軽に「大丈夫?」と声かけすることで、相手に表面的に取り繕わせる行為を促してしまう恐れがあります。
相手は「大丈夫」と答えたら、大丈夫なようにしないといけません。その結果、本人が抱えている問題と正面から向き合えず、ただ自分の中にどんどん抱え込もうとしてしまうことにもなりかねません。
「大丈夫?」と聞きたくなる時、実はそれは単に、自分が「大丈夫」というのを聞きたい気持ちが先行しているに過ぎません。あくまで、言う側の都合なのです。
いいと思って言ったことが相手の自信を奪う
こんな話があります。
パソコンが出始めた頃、家電量販店には、物珍しそうにパソコンを眺める人たちが沢山いました。馴染みのないものを少し遠目で見ながら、興味を示しています。家電量販店のパソコン売り場の担当員は、そんなお客さんたちに言ってはいけない禁句ワードがあります。
それは何だったと思いますか?
・・・
・・・
・・・
正解は「簡単ですよ。」という言葉だったのです。
当時、パソコンを遠目に見ながら、一体この得体の知れない機械とやらを自分は使いこなせるのか、どうやって活用するのか、お客さんはそんな想いでいっぱいになっていたはずです。
そこで、売り場担当から、「簡単ですよ。」と言われれば、「自分にはうまく使えるだろう・・・。全然扱えなかったらどうしよう・・・。」と益々不安が募り、パソコンそのものにトライすることを更に躊躇するかもしれません。
良かれと思って言った言葉が、逆に自信を挫けさせる、逆に心理的に負担を感じる・・・ということは、普段何気ない日常の中にもあります。
相手の心の中は分からないことを受け入れる
結局のところ、人は、他人の状況を「想像」することはできても、実際に本人がどうであるかは、どこまでも本人にしか分からないことです。人が感じている本当の気持ちは実は全然わかっていないかもしれない・・・という謙虚さを持って話すことは大切です。
そうすることで、自分の価値観、思いこみ、自分の基準やものさしで、人の状況を判断せずに、どこまでも分からないということを分かった上で、相手を愛し、励まし、応援することができるのです。
家族だからこそ、何とかしたいという気持ちに駆られるのは自然なことです。でも、それがどこか自分の心配を消すための行動になっていたら、相手も自分も幸せになれません。
分からないことは分かろうとせず、相手の回復のタイミングを尊重すること、「大丈夫」かどうかすぐに結論を得たいという衝動を抑えて投げかける言葉を選ぶことーもう二歩、三歩下がって、相手を見守るという姿勢になれるとお互いに気持ちのゆとりが出てきますよ。
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