「家族のために!」にあえてストップをかける理由

2021/11/05勇気と挑戦, 気持ちとの向き合い方

「家族のために!」と思って、何かしようと思ったことありますか?このブログを読んでくれているあなたはきっと「家族のために!」という正義感、責任感が強いかもしれません。

「家族のために!」と思って何かをしよう、何かを言おうと思ったこともきっとあると思います。

家族大好きで、家族が大切で、家族の幸せを心から願うからこそ思うこと。

それなのに・・・うまくいかなかった、それどころか逆に家族を傷つけてしまった、喧嘩になってしまった、無視された・・・なんて悲しいですよね。

もし、「家族のために!」と思ってやっていることが、うまくいかないなら、「家族のために!」の思いにあえてストップをかけます。

その理由は後ほど。

母が突然病気になったある晩

〜〜

まずは、私の個人的なエピソードを紹介します。

以前、こんな出来事がありました。

ふと些細なことを伝えたくて、母に電話をしたんです。母は愛知県なので、私は神奈川県に住んでいます。

「もしもし?」と私。

「は・・・・い・・。」と母。

え!?大丈夫?どうしたのっと一瞬でなりました。呼吸は荒いし、明らかに力がなくて、元気がない様子。

「大丈夫?」と私。

「朝・・から何も・・・食べられないの・・・。食べても・・・ダメだの・・・。」

え!?ますますパニックになる私。母と最後に話したのは先週。何ともなく元気だった母の急変に一瞬パニックになりそうでした。

「病院行った?」と私。

「いって・・・ない。どうしようか・・・と迷っている・・・。」

え!?と思ったけれど、迷う理由は私にはわかっていました。母は持病を持っています。もしかしてそれが再発したてしまったんじゃないかという恐れがあるんです。以前、その病気のせいで、かなり怖い入院経験をしているので、病院に行って、「では、入院ですね。」なんて言われたらどうしよう?と思っているのです。

色々聞きたいことはあったけれど、母も休んだほうがいいし、あまり話にならない状態だったので、ひとまず電話は切りました。

でも、いても立ってもいられないような不安がやってきたんです。そう、めちゃくちゃ心配なんです。父が一緒に住んでいます。電話では「お父さんが心配してくれているから、大丈夫よー。」なんて言っていました。でも、やっぱり心配です。

すごく、心配なんです。

時計をみると既に21時過ぎ。新幹線の最終列車に乗るためには、ここから新横浜までいく時間を考えると、終電を逃します。どうしよう・・・・

この時点で私の頭の中では既に、「私が行かないと!」って考えていたんですね。

そこで、バスならまだ行けるかもと思ってしまって、行くか行かないかはさておき、とりあえず空きはないかって探したんです。

そしたら、23:50発の夜行バスが残っていました。その日は平日でした。すぐに予約しました。

そして、夫に、母の事情を話して、「行こうと思っている。」と伝えました。あまりにも急なで出来事なので、夫も??のようでしたが、「行くなら、じゃあ早く支度しないと。」と言ってくれました。

新幹線じゃなくて、夜行バスになったので、時間は出発時刻まで、正直まだ時間があります。私は自分の部屋に戻って、ちょっと考えていました。というのも、気になる言葉があったんです。

さっきの母との電話で、「明日行こうか?」と言った時の母の反応。「そんなことしなくていいよ。お父さんが心配してくれているから、大丈夫だよ。」という一言。

私の頭の中ではどこか、「母が口でそう言っているだけ。私に対してわざわざ来てもらうなんて『悪い』と思っているから。本当は来て欲しいに決まっているんだ、私が助けになれる、力になれるんだ。」と思っていました。

でも同時に、本当に母が、「今は来てほしくない、大丈夫だから。」と言っていたら、私の深読みのせいで母に迷惑をかけるんじゃないかってことも思ったんです。

もしかしたら、私は、自分がしたいことをしているだけなんじゃないかって・・・。本人の意向を無視して。

結局のところ、私は家族の中で、中心的な役割を得ようとしてしまっていて、自分によって、家族の問題が解消できると思っているんじゃないかって。

それに、私がいきなり、翌朝早朝に現れたら、父はどんな思いになるんだろうか?病院に連れて行ける、大の大人が母の横にスタンバイしているのに、いきなり夜行バスに乗って、娘がやってきたってなると、それはありがたいのか?それとも、父に対する私の不信感を露呈してしまうだけなのでは?

色々なことが頭に浮かび始めました。バスのチケットは購入して、予約確定のメールが届きました。まだたっぷり時間はあります。

夫は寝る支度をして、私がまだ出かける支度もしていないので、「時間大丈夫なの?」と聞いてきました。夫は明日早いので、先に寝ると言って横になりました。

私は、「ねえ、行くべきか、行くべきじゃないか迷っているんだけど・・・」と夫に相談しました。

夫はこんなギリギリの土壇場になって、私から「迷っている」と言ったことにびっくりした様子で、「え?行くならさっさと準備しないと・・・」と言った後、「お母さんは、僕たちより高齢だよ。歳をとるってことは、体の調子がおかしくなったり、病気にもなることはあるよ・・・。お父さんは、お母さんのことを守ってくれるだけの十分な愛情があると思うし、僕は行かなくていいと思うけれど、でも行きたいなら行けばいいと思う。どれくらい悪いの?君の決断だよ。」と言いました。

君の決断だよ・・・というのがずっしり心に響きました。

そう、私の決断。私が行くか、行かないか決めるんです。

「どれくらい悪いの?」という夫の質問の答えはわかりませんでした。何しろ、あまりにも急なことなので。わかるのは、食べられない、食べても吐いてしまう、横になるしかできない・・・母はそんな状態でした。

そして、母から伝えられた情報にプラスして、実は私の中に一つの恐れがあったことに気づきました。それは、「お母さん、死んじゃうかも・・・。」という恐れです。

不謹慎かもしれませんが、母は持病を持っているし、なんだか、力ない母の声を聞いて、私の中で勝手にそんな恐れを生み出したのです。

もし、母と最後なら、私はバスに飛び乗らなかったことを一生後悔します。そんなことを考えていました。頭の中で、話がどんどん大きくなっているんです。

自分の中に生まれた根拠のないただの恐れってことをわかっていました。自分が行かなくては行けない正当性を作り出すために、頭の中で考えた真っ当な理由のような気もしてきました。

色々と考えた後、「やらないでって言っていたことをやらないで。」と昔よく言っていた母の言葉を思い出しました。

自分は結局、自分の不安と心配を取り除くために、人が望んでいない行動をとろうとしているだけなんじゃないか?って。

自分が体調が悪くて、苦しくて、一日中ベッドにいないといけないような状態の時、いきなり娘とはいえ、外から人がきたら落ち着かなく、逆に疲れてしまうんじゃないか?って。

ただのでしゃばりで、父に任せればいいだけのこと、母の希望に素直に従えばいいだけのことなんじゃないか?って。

そう思うと、母の意図をもう一度確認したくなりました。しつこいですね。母に電話をすると、つながりませんでした。もう22時過ぎです。母も休んでいるかもしれません。自分の心配のせいで、私は人に迷惑をかけているかもと言う気持ちが強くなりました。

すると、母からラインがきました。

「寝れそうだから、眠るね。」と。

そこで私はラインで、「明日、早朝に着けるのだけど、キャンセルにすべき?希望通りにしたい。邪魔したくない。」と伝えました。

母から、「あなたはそこにいて。」という返信がきたので、「そこ」とは私が動くなということを意味していることを再確認して、母の希望通りにすることにしました。

そして、バスはキャンセルしました。キャンセル料を払いました。はあ、愚かです。

その日は、私も疲れてしまったので、そのまま休み、翌朝早く起きて、母から連絡がこないかそわそわしていました。

朝、父からメールで連絡があり、「今朝、病院に行った。胃腸炎にて、様子見。とりあえず軽い見解。」とメッセージがきました。

肩の荷が少し降りました。

〜〜〜

家族のためにが実は自分のために!?

長いストーリーの紹介になってしまいました。読んでくださってありがとうございます。

冒頭の話に戻ります。「家族のために!」の思いにあえてストップをかけるその理由は、「ただの自分勝手な理由」である可能性が潜んでいるからです。

「家族のために!」っていう思いは、実は綺麗にコーティングされているだけで、実は「自分のために!」ってことがよくあります。

世界平和のために!って叫びながら、「自尊心のために!」みたいな。
アフリカの貧しい子供のために!って叫びながら、「承認欲求を満たすために!」みたいな。

一見、家族のことを真剣に考えていて、家族のためにどんなことでもします!みたいな精神が、実はすっごく自己中心であることもあるんです。

今回、紹介した私の例。

もし、私が何も考えず、愛知の実家に直行したらどうだったか?なんてことは起きていないのでわかりません。

でも、もし行ったとしたら、残念ながら、この2つ言えてしまうんです。

・「母の希望を無視したこと。」
・「父の存在を軽視したこと。」

まずは一つ目。母は本心を言っているのかどうかわかりませんが、もし本当に、今は本当に気持ち悪いので、こないでと言っていたとしたら、それを無視して、やってくるなんて、人の気持ちを完全に無視しています。

そして、二つ目。父はどう思うでしょうか。父は救急車を呼んだほうがいいのかと母に確認したり、色々と母のことを心配していたそうです。父から、私に助けを求めてくることは一切ありませんでした。ここが、すごくポイントです。それなのに、翌朝私が現れて、なんとかしなきゃ!みたいなことを言って、父を動かしたりしたら?父の代わりに私が母を病院に連れて行ったら?

それは、父の存在を軽視しています。しかも父と母という現在の2人家族の家庭に介入してしまっているんです。しかも許可なく土足で。

家族のことで何か大変なことがあると、いてもたってもいられなくなったり、心配と不安で押しつぶされそうになってしまうことは自然なことです。

でも、実は、自分がした行動が、実はものすごく自己中心で、家族の関係性にヒビを入れてしまうこともあるんです。

一息ついて、「それ何のため?」

特に緊急事態は要注意です。

「家族のために!」と思って、何か衝動的な気持ちになったり、とっさに行動しなくてはと思った時こそ、ちょっと一息ついて、それは本当に「家族のため?」それとも「自分の心配や恐れ、不安解消のため?」もしくは、「自分ならなんとかできると過信して、他の家族を信用していないから?」と立ち止まって考えてみてください。

家族という理由で、無許可で何でも介入できる権利は持っていません。家族だからこそ、人と人との境目が曖昧になりがちで、思ったことをすぐに行動にうつしたり、発言してしまったりすると、大変なことになってしまうこともあります。

家族関係だからこそ、他の人間関係より時に何倍も慎重になった方がいいこともあるんですね。

本当に、「家族のために!」生きたいからこそ、時に、自分の「したい!」っていう思いを後ろに引っ込めて、家族の思いをそのまま尊重してあげませんか?

そうすると、だんだん、距離感もいい感じに戻ってきて、本当に助けてほしいと思った時に、「助けて!」って心から言える関係になってきます。
変な罪悪感とか、重苦しい責任感とか、何だかリーダーでいなきゃいけないような正義感とかからの行動じゃなくて、純粋に愛して、愛される関係に戻っていくんです。

 

家族

Posted by kokoronoeiyo