「ごめんで済んだら警察要らない」と思う時
「ごめんで済んだら警察要らない」のような考えを持ったことがありますか。
この考え、ものすごく窮屈です。完璧主義なんです。真面目だけど、すごく厳しいんです。「ごめんで済んだら警察要らない」と他人に対して思う人は、自分に対してもそう思います。
だから、自分にもすごく厳しいんです。
「ごめんで済んだら警察要らない」と思っていると、自分が失敗するのをなかなか許せません。許せない人は、失敗を受け入れられません。だからいつまでも悔やみます。他人がもう忘れて、「なんのことだった?」ってなっているくらいになっても、まだ覚えていたり、気にしていたりするんです。
「ごめんで済んだら警察要らない」の考えは、他人にもすごく厳しいです。表面的には、丁寧な言葉を使ったり、礼儀正しかったり、優しそうに見えても、心の中で平気で人を裁いてしまうことがあります。
自分がお客さんの立場で、利用している会社のサービスの落ち度があれば、表面的には「ごめんなさい」の謝罪を受け入れているけれど、内心かなりムカムカしているんですね。
そうなると、一番苦しいのは、他でもないやっぱり自分なんです。イライラした心、穏やかなでない心を持っている自分が一番苦しいんです。
世の中、もちろん、「ごめん」で済まないことが沢山あります。毎日、毎日、「ごめん」で済まないことが起きています。
それでも、今日は終わり、明日は来ます。
「ごめんで済んだら警察要らない」・・・確かにそうです。
それでも、人の心は「ごめん」を欲しています。誰かに傷つけられたら、誰かが誤ちをしたら、やっぱり相手からの「ごめん」が欲しいんです。
この「ごめん」があるかないかで、気持ちは天と地ほどの開きがあります。もちろん、心からの「ごめん」です。
たかが「ごめん」でも、「ごめん」の一言で、笑顔を取り戻すこともできます。「ごめん」の一言で、過去を忘れ、未来に向かうこともできます。「ごめん」の一言で、許して、もう一度やり直そうという気持ちにまでさせてくれます。
心からの「ごめん」は他の何よりも、実はとっても大切なのです。
どうでもいいこと、些細なこと、家族だからなーなーで済ましていること、沢山あると思います。
でも、間違いをしたなら、傷つけたなら、迷惑をかけたなら、落ち度があったならば、やっぱり「ごめん」と言いましょう。
そして、できるだけ早く、素直に、すぐに伝えましょう。
「ごめんで済んだら警察要らない」というより、「ごめん」もないから、警察がいるんです。
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