学んでも行動しない「行動しない学び」は実は苦痛

2019/03/24気持ちとの向き合い方

学ぶだけじゃ頭でっかちになってしんどい

学びは成長に必要不可欠ですね。人は一人で考えられることなんて、限界があるから、良いものと思えるいろんな知恵や真理を求めて、学んでいく・・・これはとても大切なこと。

でも、学んでも、学んでも、それを「知っている」だけに留めてしまうと、次第に苦痛になってきます。

いわゆる頭でっかちです。

学校の勉強は、「知っている」量で測れますから、ただ知っていれば、それで良かったのです。でも、日常の生活をより心豊かに生きていくためには、学びを「知っている」だけに留めるのは、実は危険。危険というより、心にとっては負担です。

「ああ、いい話聞いた。」と思ったとします。でも、それだけじゃ、映画や舞台鑑賞と一緒です。人から学びを聞いたとします。でも、それは話をしている人にとって、良かった学びに過ぎません。自分が聞いて、「知った」ことから、心に落とし込んで、実際に自分が実践し始めるというのは、また全然別の段階です。

学んでも変われない自分にイライラ!?

心のテーマは、「考え方」を見直していくことで、どんどん善い方に向かっていくことはできます。でも、その「考え方」も常にアップデートと消去の「見直し」が大切であって、頭の中で「知っている」だけでは、意味がないどころか、むしろ足手まといです。

というのも、中途半端に「知っている」ばっかりに、「本当はこうするべきなのに・・・あー私は・・・」なんて思って、自分が言ったこと、したことに対して、「バツだよ!」っていう劣等感を植え付けるんです。

「本当に何度も学んでも、できないー」ってね。結局、こういう劣等感だけが自分の気持ちに残ってしまうんです。

だから、「変われない」自分にイライラするし、「変わらない」自分に情けなくもなるし、「それでも、変わろうとしない」自分に落ち込んだりするんです。

もし知らなかったら、絶対に凹みようがなかったことに、中途半端に知ってしまったから、凹んだりしているんです。これってすごくもったいないですよね。

だから、開き直って学ばない・・・変に頭でっかちになるくらいなら、こっちの方がいいくらいです。でも、これだけだったら、ただ逃げているだけ。学びがないと成長しません。

頭の片隅に、学ぶっていうことは実は、心に負担をかけている側面もあるんだと知っておいて損はないです。そして、学んで、自分の心が動いたなら、やっぱり応答してあげないと、心がかわいそうです。

心がワクワクしたり、感動したり、希望が見えたような気持ちにまで高まったのに、結局、身体がついてこないから、「えーあの時の、あの感動は何だったの!?」って心も凹んでしまっているんです。

全然知らなかった!って気づくのが学び

学ぶことで自分の世界がどんどん広がっていきます。でも、広がるというのは、自分はどれだけ小さくて、無力かということが、どんどんわかるということでもあるんです。賢くなるどころか、ますます賢くなかったことに気づくんです。これ全然、ネガティブなことではないです。

学ぶというのは、どうしても学校のイメージが強すぎて、賢くなっていくとか、良くなっていくとかそういう印象がありますが、実は、心の成長に限っては、どこまでも自分の小ささを知るということ。

そして、その小ささを知る中で、自分の完璧主義だとか、傲慢さとか、競争主義だとか、そういう、心を疲れさせるようなことをやっていたことに、段々と気づいていきます。その中で、自分が今まで見えていなかった愛とか、人としてのあり方とか、すごく大切なことが見えてくるんですね。

見えてくるというのは、自分はそういうのを本当は求めているんだな~というのがわかるという意味です。

そして、見えてきたら、今度はしっかり実践していく。
ようやく原点に立てたら、今までの生き方から、一歩でも二歩でも、変わろうとする・・・これが成長です。「知った」だけで止まってしまったら、自分の世界観だけ広げてしまって、自分の小ささを露骨にしたから、むしろ前より息苦しい生き方になってしまうんです。

学ぶというのは、それだけ大きな力が求められるということ。
中途半端な学びはむしろ害くらいに思って、本当に変化をさせていく気概を持った学びこそ、行動につながるんですね。

Posted by kokoronoeiyo