“そんなことをしている暇があったら”に打ち勝つ
“そんなことをしている暇があったら・・・”
と感じることはありますか?
他人に対しても、自分に対しても。
他人に対して感じる人は、ほぼほぼ自分に対しても感じています。
自分に対して感じる人は、ほぼほぼ他人に対しても感じています。
真面目な人、几帳面な人、責任感の強い人、
自分にあまり自信のない人、劣等感を感じやすい人・・・
何か暇をしちゃいけない、リラックスなんてしてられないと思いやすい方はこの傾向が多いです。
時間ができて、少し次の予定と次の予定の間に時間があったり・・・
少し疲れたなと思って休もうとした時であったり・・・
今日は、ソファでくつろいで好きな映画でも見ようとした時であったり・・・
この思いがふわっとやってくることがあると思います。
休んでなんかいられない・・・
何かしなくては!と思う気持ち。
そんなことをする暇があるなら、あれをやれ、これをやれと
休もうとする自分を罰する気持ち。
これらの気持ちは、こころの栄養の敵です。
合理主義であったり、
実利主義であったり、
効率主義であったり・・・
こういう世の中がどこか評価していたり、
スピード重視の世の中の中で、
もっと頑張らなくちゃ、もっと努力しなくちゃと思っているかもしれません。
休むことなんかよりも頑張ることに、
ついつい価値を置いてしまっているかもしれません。
でも、実は、心にとって負担で、
心はずっしり重く、悲鳴をあげている可能性もあるんですね。
自分を痛めつけてしまう思いは、手放していきたいものです。
休めない人というのは、
「休んでいいんだよ。」と自分に許可を与えることが、なかなかできません。
だから、周りの人がどんなにくつろいでいても、
家族がのんびりしていても、
自分はダメ、自分は動かなくては、と思ってしまうんですね。
許可を与えていないのは他でもない自分自身なんですね。
仕事が・・・
家族が・・・
子供が・・・
色々な理由が湧いてくるかもしれませんが、
本当は、それらのものでなくて、自分自身が休むことにストップをかけてしまっているんですね。
休むことを最初から拒んでいるので、
あえて、空白の時間を埋めようとする・・・
パンパンにまで予定を詰め込んでしまう・・・
一見充実した日々のようだけど、
どこかでずっしり、どっしりと疲れが溜まってくる・・・
それを取り除こうとまた「充実さ」を求め、忙しくしてしまう・・・。
そんな悪循環に陥ってしまっていることだってあります。
心は休みたいんですね。
暇な時間、
のんびりする時間だって、心にとっては、休むことができる大切な時間なんです。
瞑想だってそう。瞑想の時間は、何もしないですよね。
何かいい景色を見ている時だってそう。その時間ただ眺め、何もしていないんですね。
そういう「何もしない」ことを実は、心がすごく欲していたりするんです。
だから、休むことに罪悪感を感じるのをやめるどころか、
自分は、なかなか「休めないところがあるんだな〜」と認識していただいた方は、
むしろ積極的に「休む」ことに意識を向けてみてくださいね。
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