年をとることは毎日成長すること
年をとっていくことについて、どんな気持ちを持っていますか?私は楽しみです。自分がもし、生きていられるのなら、10年後、20年後、どういう風に成長しているんだろうと思うと気持ちがふわっと明るくなります。
人が年をとっていくのは必然であり、みんな同じです。年をとらない人は誰もいません。
自然の流れでは必ず年をとっていくのですから、自然の流れの方向に希望を見出す方がいいですよね。どれだけ、若くいたいとか、年寄りになりたくないと思っても、身体は年をとるという方向にしか傾かないのですから。
どうせ年をとるなら、それを楽しんでもらいたいなと思います。
目次
人生は学びの連続
毎日が楽しいと思わなければ、決して年をとることは楽しいと思えません。なぜなら、年をとるというのは、「毎日を送る」ことに他ならないのですから。
明日からは旅行だから楽しいとか、友達と食事に行くから楽しい、と考えてしまうと、「人生はイベントがある時は楽しい」になってしまいます。
そんな不定期で、イレギュラーな行事に自分の楽しみを依存してはもったいないです。
楽しさとは、まさに自分の成長の過程にあります。昨日分からなかったことが、今日分かった・・・あの時、苦しんでいたことが、今は何とも思えなくなった・・・憎くてたまらなかったのに、赦せるようになった・・・などと、自分自身の変化にこそ、楽しみを覚えるのです。楽しいという表現に違和感があるなら、満足感とか、嬉しいとか、達成感とか・・・そういうものに置き換えてもらってもいいと思います。
そう考えると、日常は問題の山積みです。でもそれだけ学びの機会があるんです。日常の問題を解決しようとしていくこと、そして、その問題から解放されること・・・この過程こそ成長が求められ、時と共に、一歩ずつ成長できるんですね。
問題を他人のせいにしないことは成長のための必須条件
自分自身の成長こそ、楽しんでほしいと思います。ただ、そうなると「成長そのもの」が実現できないと何にもなりません。
日々、成長するために必要な材料は十分過ぎるほど与えられています。
その材料を、どれだけ「自分ごと」と捉えるかです。もう少し、厳しい言い方をすれば、起きた問題をどれだけ「自分に問題がある」とできるかにかかっています。
人は問題を自分の課題と認識して、初めて変わるための行動をとる気持ちを呼び起こします。他人のせいにしている時は、自分は犠牲者や被害者、傍観者であり、自分自身の問題を解決する意欲は湧いてきていません。
他人のせいにしないことは、敗北でも、弱さでも何でもありません。得られるのは自分自身の成長という、計り知れない贈り物なのです。
成長の答えは自分の頭の外にもある
成長しようと思っても、いつまでも、自分の頭の中だけでぐるぐる考えているだけでは成長できません。
小学生や中学生が、自分が知らないことを、教科書や先生から学ぶように、積極的に外からも学びます。
読書をしたり、読書したことを黙想したり、話を聞いたり、話を聞いたことを黙想したりと、外から受ける影響を受けることを恐れません。
もちろん、欲しいのは良い影響ですね。何が良い影響で、何が悪い影響なのか、まさにここも自分の判断能力を高めていかないといつまで経っても、成長には何の役にも立たない悪影響を受けてしまいます。
判断能力を高めるためには、自分の頭の中で善悪を判断していても限界があるので、先代の書物や古典など、自分がもっていない知識を柔軟に吸収していくことで、新しい判断基準が身についてきます。
さらに、吸収したことを自分の胸に留めておくだけではなく、責任をもって、自分が信じる良いものに向かって歩み続けるとき、人はまた一つ高みに登っていけます。
こういった成長には、当然どうしても「日々の時間」が必要なのです。日々の時間を自分を良いところへ導くための「成長」に使えるようになると、毎日が愛おしく、成長が嬉しく、年をとることがどんどん楽しくなってきます。
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