混乱状態で決断する時に潜んでいる罠

気持ちとの向き合い方

耐え難い家族問題が起きた時に、大きな決断をすることがあります。離婚、別居、家出、通報、強制入院、失踪・・・など、自分の今いる環境を変えるような決断です。自分に対してももちろん、他人に対してもすることもあるでしょう。いずれにせよ、自分や他人の人生に大きな影響を与えるような決断です。

このような大きな決断に至るのは、必ずその原因となった何かしらの「出来事」があります。環境を変えること、どうしようもできない他人に対し、自らが変化することは決して悪いことではありません。むしろ自分が変わらない限り、状況は何も変わりません。

ただ、今回は、その決断が「最悪な出来事」による混乱状態の中でなされた場合は、そこには罠が潜んでいる可能性があるので、今回は、その罠について見ていきます。

1、選択肢が十分に見れていない恐れ

人は嫌なこと、耐え難いこと、激しい苦痛を体験した時、本能的にその場から逃げようとします。ここで覚えておきたいのが「本能的に」です。熱いやかんを触ってしまったら、その瞬間に手を離します。いちいち「あ、熱かった、手を離そう。」などと考えません。そんなことを考えていたら、その間に手は焼き焦げてしまいますよね。

防衛反応は誰にもあります。それによって、人は自分の身を守ることができるからです。家族問題の中で、壮絶な経験をした場合も同じで、家に居続けること、この家族と過ごし続けることに身体は危機感を覚えます。

このままここにいたら、一体どうなるのだろうかと、恐れと不安が頭の中をぐるぐるかけ巡るのです。熱いやかんのようなスピードではなくても、頭の中では、必死になって、「この最悪な状況から抜け出すにはどうすればいいのか?」ということばかり考えています。

「今度やかんを触る時は、手袋をしよう」とか、そんな改善点を考えているのではありません。そのようなゆとりはありません。「抜け出すにはどうすればいいのか?」ということばかり考えています。

普段食べ物の好き嫌いが激しい人でも、本当に食べ物がなくなってしまって、わずかなものしか残っていなければ、好き嫌いなんてとっくに忘れて、目の目にあるものに食いつくでしょう。これも、同じです。生きるか死ぬか、食べ物がないなら、食べ物の選択なんて、悠長にしてられません。そして身体も空腹でたまらない時は、それなりに美味しく感じます。

極限状態まで、追い詰められた時、本当だったら守るべき(もしくは守りたい)家族が、鬼のように見えてきます。どうしようもない悲痛に閉じ込められた時、その場から必死で逃げようとする意識が働きます。そして逃げる先はどれも今いるところよりは良さそうに見えてきます。

こう感じること自体は、普通のことです。ただ、その時は、目の前にあるもの、つまりとっさに思いついたことに「飛びついてしまう」可能性がぐんと高まります。

考えてはいられず、その場限り的な判断を下してしまうこともあります。冷静に、落ち着いて考えたら、選択肢は目の前に見えていることの他にも、いくつかあったかもしれないのに、それを見るゆとりも、考えるゆとりもないからです。その状態によって、取るべき選択を誤ってしまうことがあります。

心と身体が一瞬で「飛びついた」選択は、正しいとは限りません。もちろん極限状態の中では、なかなか冷静さを保つのは難しいのは事実です。しかし、それでも「正しいとは限らない」と思うだけでも、自分を過信することから少し離れ、別の選択肢をチラッと見る落ち着きが与えられます。

2、決断するきっかけになった怒りを維持する恐れ

一度決断をして、実行をしてしまうと、新しい幕が上がります。人生の新しいチャプターです。環境は確かに変わったかもしれません。付き合う人も変わったかもしれません。前よりより良くなったかもしれません。そして、その新しい決断の中で、毎日を送り続ける主人公は、他でもない「自分」です。

この幕を上げる前、つまり、混乱状態の中で決断をするとき、そこには、怒りや悲しみ、憎しみや悔しさ、惨めさや無力感など様々なネガティブな気持ちを持っています。

そういう状態の中でした決断は、「〇〇(出来事など)によって、私は今△△になった。」という思いがふとしたときに思い起こされます。

自分が大きな変化を起こすことになった、「きっかけ」そのものは、その決断を実行している限り、必ず心の中に残っているのです。

そうすると、新しい環境の中で、楽しく、明るく生きていこうと努力はするのですが、その新しい環境で何もかもが順風満帆というわけには、生きている以上、そう簡単にはなりません。

そんな時、前の苦々しい思いが蘇ってくるかもしれません。ただ絶対に受け入れたくない感情です。だから、たとえ蘇ってきたとしても、自分の決断によって得た「新しい環境」、そして決断をした「自分自身」を正当化し続けないとやっていられません。

自由になったはずなのに、どこかいつも蓋をし続けないといけないものを背負っているような重苦しさです。このような重圧を感じる可能性も、新しい環境での何かの出来事がきっかけで生じることがあります。

何かを始める、スタートする時の「動機」というものが自分の気持ちに与えるインパクトは案外にバカにできないものです。

苦しい正当化をし続けなくても済むように、新しい決断をするとき、それは他の誰でもない、出来事のせいでもない「自分が望むことなのか」ということを正直に向き合うことはとても大切です。

3、見通しがなく、無計画である恐れ

混乱状態でする決断は、精神的なゆとりも、時間的なゆとりもない状況の中でされることが多いです。そうすると、落ち着いて、計画を立てるというよりも、とにかく、「この場から立ち去りたい」という思いが優先されいて、見通しがなく、無計画である行動になってしまうことがあります。

「去りたい」「逃げたい」という気持ちが強いので、極端にポジティブになったりして、「なんとかなるさ」とか、「どん底を味わったのだから、それよりもマシ」などと自分を鼓舞してでも楽観的に考えようとします。楽観的に考えないとやってられないような状態ですから、そう考えることは自然なことです。

ただ、見通しがなく、無計画な計画は、後々自分が苦労することになりかねません。未来は容赦なく、近づいてきますから、行動を起こしたら最後、真っ正面から向き合って、自分で責任を取り続けなくてはいけません。

「こんなはずではなかった」と思いが湧いてきて、決断する前と種類は違うけれど、別の苦労を抱えて苦しむことは誰だってしたくありません。だからこそ、見通しはあるのか、少なくとも先半年ぐらいのイメージができているのかを少し考えてみることで、自分の決断をブラッシュアップすることができます。

なかなか他人には言えないことではありますが、当たり障りのない部分だけでも小出しにして、信頼できる第3者に口に出して伝えてみることで、問題の当事者でない人から、非常に冷静なフィードバックをもらうこともできます。

混乱状態ではどうしても後先のことを考えずに、「とりあえず今」という視点で物事を考えてしまう傾向がかなり強くなります。このことを心得て、できる限り先々のことも視野に入れることは大切です。