家族の不幸に落ち込むリスク

2019/11/16気持ちとの向き合い方

家族関係の中で、境界線がうまく機能していない人は、家族の不幸にめちゃくちゃ落ち込みます。

家族の不幸に、自分の人生のどん底に突き進みます。

もしくは、家族が不幸になっているのに、怒り出したり、文句を言ったり、だからこうなると言ったじゃん!のように責め立てる人もいます。

完全に境界線が機能していません。

あとはすごく真面目な人で、

人の不幸に同情できないなんて、そんなの、家族じゃない。家族なら運命共同体が当たり前!と言う人もいます。

まっとうな考えで、優等生的ですが、これも境界線が機能していません。

人間って、痛みを完全に肩代わりすることは誰もできません

そして、他人の痛みを本当にわかることも、誰もできません。

隣で血だらけになって、苦しんでいる人を見ても、それを見て、こっちまで具合が悪くなっても、心臓が痛くなっても、当人の痛みに比べたら、そこまで痛くないんです。

あ、苦しいんだな、辛いんだなってことを感じるだけです。気持ちに寄り添ってあげることはできても、痛みをわかってあげるなんて、到底できません。

この、「できない」ということをしっかり理解することは、すごく大切。

なぜなら、「できない」と分かるからこそ、ちゃんと境界線を持つことができるのです。

もし、あなたの家族の誰かに不幸が起きた時、自分がどうかしてしまうほど落ち込んでいるなら、そこにはリスクがあります。

というのも、自分が当人と同じくらい苦しみを味わっている…も誤解をしているんです。

自分も同等の痛みを抱え、ものすごく大変な人になっていると思ってしまっているんです。

あなたの苦しみは、私のもの。私の苦しみも、あなたのもの。

これでは感情の共有の限度を超えています。

血を流している人の肉体的痛みが完全に理解できないように、不幸に陥った家族の精神的痛みも完全には理解できません。

自分の痛みと他人の痛みはいつも別物です。

ある家族の不幸に対して、自分も落ち込むことによって、擬似的に、「相手の苦しみを自分も受けた」と思ってしまうことは危険です。

相手から言わせれば、よくある「あなたに私の何が分かる!?」です。

どこまでも相手の痛みは相手のもの。自分の痛みは自分のものです。

なのに、境界線を持たず、相手の痛みを自分も受けようとすることで、その痛みが後々表面化してきます。

しばらく時間が経ったら、私をこんな辛い目にしたと言って、相手を激しく責めたり、
一緒になって鬱になって、病気になったり、
離婚や別居など、いきなり衝動的な行動を考え始めたり、
過去のことを取り出して、あれやこれや怒り出したり・・・

色んなことが出てきてしまいます。

痛みから出る感情でいいことなんて一つもありません。

結局は、不幸に陥った家族が受け入れられずに、しっかり境界線を持たず、ここまでは相手、ここからが私と線引きが曖昧になってしまった結果です。

自分から進んで、不幸を感じている相手の感情と同化しようとすることはリスクがあります。なぜなら、人の痛みを抱えようとすることは、自分も傷つけることです。

もしかしたら、当の本人は、あなたの落ち込みによって、さらに不幸になるかもしれません。

境界線が機能していないと、さらに不幸に進む相手を前に、自分はさらに落ち込んだりします。

悪の連鎖です。

だからこそ、境界線をしっかり持ちます。
境界線を持つことは、冷たい人間になることなんかじゃないんです。

幸せを作り出す人間になるためです。