周りに流されてしまう裏にあるもの
周りに流されてしまう裏には、不安が隠れています。
自分がみんなと違うのでは嫌だ!と思ってしまっているんですね。
自分がみんなと違うことを「ユニーク」と捉えることができればいいのですが、
周りと足並みが揃っていないと、どこか遅れを感じたりして、焦ってしまったり、
自分の感情を無視して、好きでもないことをやってみようとするんです。
他人に、すごく影響を受けやすい状態になっています。
他の人がどうしているかによって、自分を見て、自分が正しいか、正しくないか、自分がこのまま進んでいいのか、方向転換をした方がいいのか・・・を判断してしまいます。
このように他人を軸に、自分の決断を繰り返していくと、だんだん「自分」の心の声が消えていって、
他人の声(他人の基準や他人からの評価)がないと、前に進んでいけなくなってしまいます。
自分が、他人にすごく影響を受けているなと感じたら、まずは、「自分は他人に流れているな」と認めることです。
もちろん、
他人に流されること=悪いこと
では決してありません。
流れるプールをイメージしてみてください。本当は自分が流されたくないのに、間違って、流れるプールに入ってしまったばっかりに、ただ流されてしまっていたら、面白くも何にもなく、むしろ不安になります。
でも、自分から進んで、意識して、流れに乗っているなと思うと、とっても楽しいものに変わってきます。
流されることそのものが悪いわけじゃないんです。
問題は、
ただ流されてしまって、流されていることすら気づいていない状態
になっていることです。
流れたいところには流れたっていいんですね。でも、流されたくないところは、ちゃんと流れから離れていくんです。
もし、周りに流されて、周りのことを気にしてきたけれど、それでも心の中に苦しさを抱えているのなら、自分のユニークさが押しつぶされてしまっています。
そんな時は、もっともっと、
自分の「好き」とか、「嫌い」にもっと敏感
になってあげる時です。
「私はこれが好きだな、こうすることは嫌だな・・・」という思いを、ちゃんと自分が聞いてあげることです。
自分の心の声に蓋をしていては、
好きだけど・・・
嫌いだけど・・・
と言いながら、望まないことをやり続けることになってしまいます。
ピアノが好きなら、周りにピアノをしている人が一人もいなくても、喜んでやればいいし、
掃除が大嫌いなら、周りがみんな一生懸命自分できれいにしていても、家事代行を頼めばいいし、
一人でいたいならいればいいし、食べたくないものは食べなくていいし、仕事したいならすればいい・・・。
などなど。
自分の「好き」や「嫌い」はあるはずなのに、
でも、「〇〇しといた方がいいんじゃないか」や「本来〇〇であるべきなんじゃないか」という思いが邪魔してしまうんですね。
自分を縛り付けるその思いも、もしかしたら、誰かからたまたま聞いただけのことかもしれません。
それは、有名な人かもしれないし、教育で教えられてきたことかもしれません。
周りに流されてしまう裏にある自分の不安にちゃんと向き合ってあげると、自分のユニークさに取り組む勇気が湧いてきます。逆に、その不安に蓋をしたまま、なんとか無理を重ねていても、重い鉛を肩に背負いながら歩いているような息苦しさがついてきちゃうんです。
周りに流されることで、自分の心が何か、無理しているなと思ったら、自分を苦しめるくらいのものだったら、手放していいんですね。自分を守るってそういうことです。
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