苦手な他人ができた時に考える3ステップ
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苦手な他人ができた時は大チャンス
職場の同僚で、友人関係で、知り合い同士で、「なんか、この人嫌だな・・・関わりたくないな・・・。」と思う人が出てきた時どうしますか。そんな時、自分の中でもっともな理由を作って、すぐに心の壁を作ってしまうことがあります。
表面的には、社交辞令として付き合うことはできても、心は完全に閉ざされていたり、必要以上の関わりを持たなかったり、意図的に避けたりするのです。
こういうことは他人だからできます。夫が、母親が、息子が、となるとそうはいきません。正直なところ、他人だから、「他人そのもの」はどうでもいいという考えになっているのです。その結果が心を閉ざすのです。
そこに残念ながら、愛はありません。ただ、「この人苦手だな」とまで思ってしまったのは、自分にとっては決して「どうでもよくない」不愉快な思いをしたからであり、その嫌な気持ちを持つ「自分」をどうにかしようとして、他人を「苦手」とか「嫌い」とか「無理」とかに定義しているのです。
実は、このように、「苦手」とか、「嫌い」とか、「この他人とは無理!」と本気で思えた時、こういう時こそ、自分が重要としている価値観や、自分がずっと持ち続けている思いなどに気づく大チャンスが潜んでいるのです。こういうチャンスを用いていくことで、自分をどんどん深く知り、理解し、改善することができます。
その他人を苦手とみなした理由は何なのか?
そもそも、他人を苦手とみなすからには、その理由となる出来事や言動があるはずです。その状況は何なのかを思い巡らします。
たとえば、ミーティングの場で、自分があることを言った時に、相手の人は、自分と完全に対等な立場であるにも関わらず、自分に対して指導的な言い方をしてきたり、指摘してきたり、上から目線で何かを言ってきたことに傷ついたとします。そして、その他人は自分より何十歳も年上の方とします。相手に指摘されたことで、自分の意見が否定されたと思い、非常に不愉快な気持ちになってしまいました。
心の中で不当な扱いを受けたという思いが残ったのです。このように自分が、どう思ったから、相手を「苦手」とみなしたかを明らかにします。
そして、一度苦手と思ってしまった以上、次回、その人と会うことがあっても、どこか距離を置いたり、今まで見ていたような接し方ができなくなってしまうのです。
嘘の理由付けと本当の理由付け
こういう思いを抱き続けることは心地よいものではありません。本当に割り切れているのならいいですが、どこか引っかかるものが残る関係です。
人間関係は良好な状態が自然な状態です。良好とは、人に笑顔になったり、話しかけたり、感じよく応答する事です。あの人が嫌だ、苦手だと思っている時は、そう思っている本人が囚われている状態になっていて、どこか窮屈な思いを持っています。
当然人は、そんな苦しい状況から早く抜け出したいと思うので、心の中で、様々なことを考え始めます。例えば、「もうあの人と顔を合わせないように、あのミーティングに行くのをやめよう。」といきなり自分の行動を他人によって変えたり、「あの人は私より年上だから、いくら立場上は対等でも、言いたくなっちゃたのか。仕方ないな。」と、相手を自分より下に見ようとしたり、「所詮、他人だし、いつも顔を合わせるわけではないのだから、もうどうでもいいわ。」と開き直ったりします。
こういう風に自分の痛みから逃れるために、頭の中で突発的に出てきた理由付けは、実は嘘の理由付けである可能性があります。
嘘の理由付けであるかを見極める方法は、浮かび上がったその思いを認めよう、認めようとしても、どこかわだかまりがあったり、スッキリしない感じが残ってしまうかどうかです。
嘘の理由付けのままで、せっかく起きてくれた心の試練を通り過ぎるのはもったいないです。先ほども書いたように、家族でもなく、本当は深く関わっても関わらなくてもいい他人に対して、このような感情が起きたことは実はチャンスなんです。
嘘の理由付けで安易に片付けず、本当に正直に向き合い、自分の感情に『正直』になった時に、今回の例であれば、「私は、認められたかっただけなんだ。」ということが浮かび上がってくるかもしれません。ここで、初めて、他人であった「あの人」の存在はもはや関係なく、自分を苦しめていた本当の答えが見つかるのです。
自分は単に、「ものすごく認められたい気持ちの強い人間なんだ。」と気づき、そして認めると、そういえば、小さい頃から、父親に女の子じゃなくて、男の子が良かったと言われたり、兄弟より優秀じゃなくて、劣等感を感じていたな・・・とか、自分自身の過去を照らし合わせて、様々な出来事が浮かび上がってきます。
そして、「本当に、私はあの時、あの人に『認められなかった』という気持ちになって、それで、あの人の事を苦手としてしまっただけなのだな。あの人は何にも関係ないんだ。自分の『認められたい』気持ちがまだまだ強すぎたんだ。」と気づけます。
ここまで気づいたら、もうゴールです。他人であった「あの人」はもう全く関係なくなります。一瞬で、苦手と思っていた他人とも、普通に接することができるようになります。むしろ、大きな事を気づかせてくれた「あの人」に感謝の気持ちさえ芽生えてくるかもしれません。もう、問題は消えているのです。
問題は、自分自身を成長させるために、自分の課題に向き合うために活用するとき、問題より上の次元に行くことができます。そして、問題にもう振り回されなくなるのです。
イメージとしては、大人になって、小学生で逆上がりができなくて、大泣きしているのを見て、「そんな事は全然大丈夫よ。」と言っているのと同じです。自分が、問題よりも大きな存在になったとき、それに気づけたとき、初めて、問題を乗り越えられるのです。
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