わかってもらいたいと苦しんでいる時に考える3つのこと
人は誰でも自分のことをわかってもらいたいという気持ちがあります。親子関係、夫婦関係、友人関係のどれをとっても、「分かり合える」ということなしに、その関係を続けることはできません。「分かり合える」からこそ、信頼が生まれ、「分かり合う」ことで、気持ちを共有し合い、互いの関係を深めることができるのです。
だからこそ、逆に分かり合いたいのに、分かり合えないと、ものすごく苦痛に感じます。誰とでも分かり合いたいなんていうことではありません。自分にとって、大切な人、重要な人だからこそ、人は分り合いたいんです。今回の記事では、わかってもらいたいと思っているのに、なかなか分かり合えないと苦しんでいる時に考えたいことを3つの視点から書きます。
目次
1、分かってもらいたいは傲慢
分かってもらいたいと苦しんでいるのに、あえてストレートに書きます。分かってもらいたいは傲慢です。分かってもらいたいと言いながら、実は心のどこかでは、相手に「分かれよ!」という気持ちが潜んでいることがあるんです。
人にはそれぞれ、どう分かりたいか、どう考えたいかの自由があります。分かる人には分かるし、分からない人には分からないし、分かりたくない人には、たとえ分かっても、分かったことを認めようとしません。
人がどう思おうが、どう考えようが、自由なのです。相手にこう思ってほしい、こう考えてほしいと思うのは、相手の心の中に入り込む行為です。それは図々しく、本来入り込む領域でないところまで、首をつっこもうとしています。
人が何を思おうが、何を考えようが、自由です。その自由の中に、他人である自分が入り込もうとすると、人間関係の衝突が起きるのです。
2、自分は分かってあげる
もしかしたら、自分自身も人のことで、分かりたくないこと、分からないことがあって、そんなことは理解できないと無視したり、冷たくしたり、助けの手を差し伸べなかったりしたことはありませんか。
誰でもみんな分かってもらいたいんです。理解してもらえなくて、悔しい思いをして、それを心の中に閉じ込めています。
まずは、自分のことを分かってもらいたいからこそ、相手のことも分かってあげることを始める。人は「この人は、本当に分かってくれる人だ」と思った時に、心を開き始めます。
3、人の承認がなぜ必要か
「そもそもなぜ相手に分かってもらいたいのか」ということを考えます。相手に分かってもらいたいという思いの背後には、自信のなさが隠れています。
もし仮に、たとえ誰もわかってくれなくても、神様だけ分かってくれればいいんだくらいの自信と強さがあったら、人の反応にいちいち振り回されることなどないのです。
分かってもらいたいの裏には、人が分かってくれないと不安なのです。だから、相手が分かろうが、分かるまいが本当は関係なくて、自分自身が人に分かってもらえないと、安心できない気持ちが、本当は見なくてはいけない問題です。
課題の分離1、2でも書きましたが、人の反応にいちいち振り回されているのは、不自由な生き方です。でも、もちろんこれを実践するのはとても難しいです。完全に実践するのは不可能です。少しずつ進んでいけばいいのです。
自分以外の他人はいつでも自分の都合に関係なく、彼らに起こっていることが原因でコロコロと変わります。それらにつられて、こちらもコロコロと変わっていては、人生が難しくなってしまいます。
人の反応にいちいち振り回されず、小さなことでも、自分で自分を承認し続けることで、段々と自分に自信がついてきます。(人の反応にいちいち振り回されない状態になったら、そういう人は本当に「自信」がついているから、そんな自信がみなぎる自分になると、次第に人は自分を聞いて、分かろうとしてくれることが増えてきますよ。)
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