“引きこもり”という症状だと理解する
前回の「家に”引きこもり”の家族がいる人へ」の続きです。
目次
“引きこもり”さえなくなれば・・・と思ってしまうことは普通
頭の中では、「こうなってしまったのは仕方ない」と半分現実を認めつつ、冷静になろうと努力しながらも、頭の片隅のどこかに、「”引きこもり”さえなくなれば・・・」とやっぱり思ってしまうことがあるかもしれません。
まず最初に断言します。そう考えてしまうこと自体は普通です。自分が、何かを問題と認識し、その問題を取り除こうとする・・・そういう思いになってしまうことも、そういう行動をしてしまうことも、普通です。
そう思うこと自体は「普通」だけれど、では何を変えていかなくてはいけないのか?これを、はっきりさせましょう。それは、問題が「自分」ではなく「他人」の所有物となると、自分の思いと行動だけでは、どうにもできないことを「受け入れられる」かどうかです。
“引きこもり”という問題は確かにある。でも、本人が、本当にその問題を取り除こうとするまでは、周りは根本解決はできません。
根本解決ができなくても、もちろん家族として、サポートできることは沢山あります。それは、結果的に本人が立ち上がろうと決意するための支えにはなる(なった)かもしれませんが、決して、サポートするから(したことによって)“引きこもり”から立ち上がることができるわけではないのです。
人の変化はいつも、「当人」が主体で起きています。周りは影響を与え、支えあう存在です。
ややこしいですが、とっても重要なポイントです。
意識しないと、すぐに「人を変えようとして、何かをする」といった共依存関係になってしまいます。
“引きこもり”という症状
“引きこもり”さえなくなれば・・・と思ってしまうことは、アルコール依存症の家族の人が、いつまでも「アルコール」そのものに囚われてしまい、「お酒さえ飲まなければ・・・」と思ってしまうのと似ています。
アルコール依存症の場合、本人の考え方なり、性格なり、もしくはたまたま遭遇した周りの環境や、人から言われたことへの反応が、「アルコール」に頼らないとやっていけないぐらいにまでなってしまっています。
同じように、”引きこもり”も、抱えている心の葛藤が、“引きこもらざるを得なくなって”しまったのです。そうなってしまった、弱さなり、不器用さなり、窮屈な生きづらさを理解してあげることがスタートです。
“引きこもり”そのものがなくなったところで、取り組まなくてはいけない課題は残ります。
本人が対人関係における自分の気持ちの捉え方そのものに、もし課題を抱えているのなら、再び外へ出ても、また別の問題と向き合っていかなくてはいけません。
“引きこもり”そのものが「悪」ではないのです。“引きこもり”は本人に原因と目的があって、それに添うように起きている症状です。
何が”引きこもり”にさせてしまったかを理解しようとする
“引きこもり”が症状だとわかれば、家族側にできることは明確です。それは、何が”引きこもり”にさせてしまったのかを、理解しようとし、可能な範囲の中で、必要なサポートをしてあげることです。
心を開かない本人に無理やり聞き出そうとしたり、話しかけてはいけません。本人のタイミングを待つということも含めて、「理解する」ということです。
もし、本人が拒絶を感じていたり、自信のなさを感じているとしたら、家族がこれまで接してきた関係の中で、本人が拒絶に感じることや、勇気をくじくようなことをしていなかったか、”引きこもり”を助長させるようなことをしていなかったかということを、振り返ってみます。
また、「自分」を改善するのに、不適切なタイミングで”引きこもり”の本人を巻き込ませようとしてはいけません。
今日明日で何かどうしようと考えず、これまで長い年月をかけて、蓄積したものですから、焦らず、ゆっくり、向き合っていきましょう。
アップダウンを繰り返しますが、回復は必ず起きてきます。
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