アルコール依存症の家族に対して、気持ちのやり場に困った時の3つの対処法
アルコール依存症は依存症本人だけでなく、いとも簡単に家族も巻き込んでいく恐ろしい病です。アルコール依存症は「否認」の病とも呼ばれ、本人が、病気であること、依存症であることを否認するので、治療もスムーズにいきません。例えるなら、もし大きな怪我をして血が出た時、正常なら、痛くて早く治したいから病院へ行きますが、依存症者は、怪我はしていないと否定しながら、更に傷口を広げる行為を自ら繰り返すようなものです。
アルコール依存症は、アルコールに支配されている状態なので、本人が心底「やめたい」と思っていても、アルコールをコントロールすることが難しい病気です。家族が理解しなくてはならないのは、本人すらコントロールができないものを、まして家族がコントロールするのは、あまりに無謀すぎて、不可能であるという事実です。
このことは、同時に認めるのがかなり難しいことでもあるので、あえてもう一度書きます。
アルコール依存症は本人が、アルコールに対するコントロールを失い、本人にとって非常にコントロールが難しいものです。なので、家族が依存症者をコントロールしようとしても「できません」。
あえて、もっと強く表現するなら、家族は無力です。
自分が無力であると認めたい人は誰もいません。これを認めることに抵抗感があるのは当然です。なぜなら、無力と言われることは、まるで「無価値」であるかのような錯覚を受けるからです。でも、これは家族に力がないとか、努力不足とか、家族が問題とか、全く別次元の話で、決してそういうことではないのです。
アルコール依存症という病が、本人の意志を完全に乗っ取ってしまうという恐ろしい病で、まずは本人が心の底から、降参して、打ちのめされて、自分を明け渡す決断とそれを継続する努力を始めない限りは、家族が出る番ではないのです。
中途半端な家族の力添えは、むしろ依存症者の回復を阻害したり、回復どころか、アルコール依存症を進行させてしまうリスクさえあるのです。アルコール依存症は、「精神」の病です。イメージするなら、アルコール依存症者は、心がシャボン玉のように割れやすく、壊れてしまったのだと感じてみてください。その状態では、家族の励ましも、叱責も、注意も、お膳立ても、本人にとってすごく負担に感じてしまうのです。
このことを大前提とした上で、家族はどう自分の気持ち(助けたい、よくなってほしい、お酒をやめてほしい、平常に戻ってほしい、これ以上辛い思いをしたくない、振り回されたくないなどなど)と向き合えば良いのか3つ書いていきます。
目次
1、頭の中だけで浮かぶ悪い未来予測を拒否する
まず、アルコール依存症者と日々過ごしているという現実に対して、アルコール依存症の本人に囚われているのなら、自分は怒りっぽく、イライラしやすく、変わらない状況に不満を抱きやすくなってしまっていることを認めます。こういう状況だと、人はネガティブに物事を考えがちです。
私はいつも頭の中の考えが生成される早さに驚きます。少し話が逸れますが、頭の中であれとこれをしなくてはいけないと思いながら、仮眠をとると、半分夢と現実が混ざったような浅い睡眠の中で、そのしなくてはいけないことが全てが片付いていることがあります。現実では、何日も日数を要することなのに、頭の中はいつも一瞬なのです。
「イメージは一瞬、思うのは一瞬」という人間の能力はある意味で便利だけど、使い方を誤るととんでもなく悪い影響を与えてきます。たまたま見た酒ビンから、一気に未来予測が始まり、その考えは、家庭崩壊、離婚、将来はひとりぼっち、人生やめたい・・・などどんな風にでも悪いことが拡大していくのです。
状況としては、依存症者本人はいつもと何も変わらないのに、家族の頭の中だけがかなりのスピードで動いています。思いや考えそのものが自動生成されるのを食い止めることは非常に難しいことです。大切なのは、考えそのものの生成を止めるというよりも、その考えに基づいて愚かな行動をしないということです。
未来は何が起きるかわかりません。誰もわかりません。これは真実です。人間が勝手に色々と想像することはできるけれど、明日がいつも通りにやって来ることすらも確実とは保証されていません。
だからこそ、もし、未来に「こんなことが起きるかも、起きてしまうかも」という恐れに対して、自分を防御します。思いや考えを思いや考えのままに留めて、そして、その未来予測を拒否します。拒否しないと、「未来は何が起きるか誰一人わからない」という真実に反して、悪く考えたことが事実かのように考えて行動してしまうからです。間違った考え、恐れからとった行動は多くの場合、破滅をもたらします。嘘を信じるのはもうやめにします。
2、誰の問題なのかを明確にする
もし今日、自分を煩わせることが起きたのなら、まずは自分にこうたずねます。「これは私の問題だろうか?」。私の問題とは、私がコントロールできて、処理できる問題であり、私がコントロールする必要があり、処理すべき問題であるという意味です。
そして、もしその答えが「No!」であるなら、その煩わしいことから手を離します。できることがないことに対して、「できることがない」と反応するのが、自然な流れだからです。自然の流れに逆らえば、また混乱がやってきます。もうその渦に飲まれるのをやめにします。
3、自分の感情、反応、駆られている衝動を冷静に気にかける
自分の思いや考えは、他の誰よりも自分が一番わかっています。それを、まるで他の誰かが思っているかのように、何もできないと放置する必要は全くありません。人間は、「食べたいから食べる」こともできますが、「食べたいけれど、食べるべきでないから食べない」という選択もできる生き物です。
自分が何を感じ、物事にどう反応し、今、何の衝動に駆られているのかにもっと気を配ってみます。自分の感じ方、考え方をまるで、自分が自分に問いかけるように、探ってみます。「辛いなら辛かったね」、「疲れたなら、今疲れたんだね」、「イライラしているなら、イライラするようなことがあったんだね」、「悲しいなら、悲しいんだね」と、時に自分を労わります。
他人と違って、家族だからこそ、感じたことをそのまま表現できる相手かもしれません。もしくは、自分は依存症じゃないから、どこか無意識では、自分のようになれば依存症じゃなくなるのにと、まるで専門家のように上から目線で家族に指示したくなるかもしれません。
そうやってこみ上げてくる思い、葛藤、やるせなさそれを、溢れるままに相手にぶつけるのではなくて、自分で受け入れてあげます。そうすると、自分のことがもっとよく見えてきます。そして、はじめて、湧いてくる思いに振り回されず、「本当はこう過ごしたかった!」という1日を自分のものにしていくことができるです。
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以上、依存症の家族に対して、気持ちのやり場に困った時の3つの対処法を紹介しました。依存症は大変な病気です。でも、依存症を乗り越えた人も、事実、沢山存在しています。そして、依存症者との中でも家族の平和、1日の充実さを見出した家族も沢山存在しています。
目の前の状況に左右されず、希望を持って、自分のなすべきことをやっていくこと・・・そうしていくと、後から振り返って、自分が歩んできた道を誇りに思える日がくるはずです。
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