正論で相手を責めたくなった時の対処法
前回の記事で、正論からは離れようということを書きました。
苦しい時って、正論は聞きたくないんですね。
「(正論なんて)わかっている・・・でも・・・」がほとんどですから。
苦しい時は、正論ほど不要なものはない!ってくらい、正論はいらないんです。
それでも、正論をつい言っちゃう人がいると思います。
わかっていても、正論が言いたい!っていう症状。
ありますよね。
「苦しい状況にある時には、正論を言わないようにしよう!」とするのも、
ある意味、立派な正論になってしまうんですね。
「正論を言っても仕方ないとわかっているけれど・・・でも・・・」
って、正論を聞きたくない時と同じ思考回路になっちゃうんです。
配偶者にムカついている人、
子供が心配で仕方ない人、
親のことにイライラが収まらない人、
もしも、やっぱり正論を言いたくなったら・・・
「私なら・・・こうする」
このアプローチで言ってみてください。
早く起きろ!じゃなくて、
「私なら、早く起きる。」
食べるな!じゃなくて、
「私なら、食べない。」
などなど。
シンプルに、私なら・・・で始めるだけです。
ただ、「私なら・・・こうする」と言っても、相手から、「そう、勝手にすれば!」
って思われるのがオチじゃないかと思うかもしれません。
それでいいんです。
相手が、自分の意見にどう言うか、思うかなんて、相手の自由ですから。
そもそも、そこまで気にしてあげなくていいんです。
正論を言いたくなったら、自分にとっては、
確かにその正論こそあるべきこと!と思っているかもしれないですが、そこで一歩引いて、
「もしかしたら、相手にとっては、正論じゃないかもしれない・・・」
という謙虚さを持ち合わせておくことはとても大切です。
もしかしたら、自分が正論と思っていること、
これが正しいって思っていることが、
相手にとっては全然そうじゃないかもしれない・・・
と。
もしかしたら、相手にとっても必要な正論でも、単にタイミングがずれているかもしれません。
相手がどのタイミングで何が必要かなんて、他人が全部分かるわけがないんです。
結局のところ、自分が言えることは、「私なら・・・」の視点でしか本来、何も言えないんですね。
逆に、「私なら・・・」なら、それは堂々と自分の意見です、自分が言うことができるんです。
自分ならこう思う、私なら・・・こうするの視点に変えてみると、驚くほど、人間関係が丸く収まることは沢山あります。それは、正論のせいで生まれる相手からの反発を防げるからなんです。
下手にどこからか借りてきた言葉や、大多数が言っているとか、科学的にこうとか・・・そんな正論を持ち出してくるからややこしくなっていたんですね。
正しい、間違っている・・・人が考えることは、人によって違うことが山のようにあるんです。
だから、一方的に答えを押し付けるような正論は反発されちゃうんです。
みんなそれぞれの考えがあるんですね。
もっと、正論を手放していくと楽になってきます。
正論自体は、持ってもいいんです。
でもあくまでも「自分の」正論。
相手にも適用させようと奔走しないことが大切です。
正論なんて、人が勝手に各々、自分が正しい!と思っていることにすぎないんだって分かれば、あんまりこだわる必要がないなって気づけます。
そうすると、目の前にいる相手の話を、もっとちゃんと聞くことができるし、
相手がどう思うかを、ちゃんと尊重できるようになってくるし、
そして、また人がどう思うかなんて恐れずに、もっと自分の意見を言うことができるようになってきます。
正論から離れることは、解放です。
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