人を怒らせてしまう理由
良かれと思って相手に言ったこと、やったことなのに、結果的に相手を怒らせてしまった、不機嫌にしてしまった・・・そんな経験はありますか。特に家族の間柄だと、想いも強く、少しでも相手のために、相手がよりよくなるようにと、あれこれ考えてしまいます。
そうして気持ちが抑えられなくて、ついつい言ってしまったことが、相手をひどく苛立たり、傷つけたりしてしまうんです。望んでもいなかった人間関係の衝突に、今度は、自分自身も落ち込んだり、自責の念に陥ってしまうかもしれません。どうしてそんなことが起きてしまうのでしょうか。
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相手のため?自分のため?
上の絵を見てみてください。この絵では、後ろから男の人(ここでは夫としましょう。)が、女の人(妻)を押しています。どこに向かって押しているかというと、スリムなスタイルの型に向かってです。
この比喩は、自分の思う理想の形に相手を押し付けようとする行動を表しています。この二人の間から、ハートマークが逃げて行っていますよね。相手を自分の型にハメ込めようとすると、愛が逃げていってしまうのです。
実は、無意識であっても、このようなことを普段の人間関係でしてしまうと衝突が起きやすくなります。その結果、先ほど冒頭に書いた、「良かれと思ったのに、怒らせてしまった」のようなことが起きてしまうのです。
「相手がこのようになったら、きっと相手はいいだろう」と思うのは、自分の思いです。一見、相手目線で、相手のためにならどんなこともしたい、相手のために協力したいという心の優しい人にもとれますが、実はそれは自分本位で、「こうなった相手」を自分が欲しているにすぎないことがあります。
そうなると、これは結局、相手のためと言いながら、自分のためだったんです。もちろん、相手も自分が考えることと同じようなことを望んでいることは多々あるでしょう。でも、痩せたい、痩せたいと言っている妻に対して、健康マシン買ってきたり、砂糖やめさせたり、学んだ栄養知識や情報をやたらと披露して、相手の背中を無理に押す行為は、相手があなたからの助言を望んでいない場合、決して受け入れられるものではありません。
受け入れられるどころか、むしろその押し付けがましさや、上から目線な態度に苛立ち、怒り、せっかく目指そうとしていた目標に対しても投げやりな気持ちになってしまうことすら起きかねません。
ここでは、「他人を変えるのは無理」という話に留まるのではなく、相手を自分の理想に押し付けようとすることは本来「自分がすべきことではない」と知ることです。
自分の限界を知ること
このような図で表されるような相手へのコントロールや支配は、日常生活のちょっとしたところで、頻繁に見られます。そして、その多くが意図していない喧嘩や人間関係の歪みを齎してしまうのです。
自分の言動において、相手を怒らせてしまったのなら、たとえそれがどんなことであれ、自分のやり方に間違いはなかったかと振り返ってみることで、今まで見えていなかった自分の態度に気づくことができます。
人は誰でも自分の問題点に真正面から向き合うのはあまり心地よいものではありません。できれば、たとえ相手が起こったとしても、「怒る方が悪い。」などとして片付けたいものです。でも、それをし続けている限り、いつまでも成長はありません。
自分を変化させるためのカギとなるのは、「自分の限界を知る」ということです。自分がどこまでできて、何ができないのか、ここにしっかりと境界線を持つことで、相手の領域に入り込むことを避けられます。
例えば、夫婦で自営業をしていて、ある日、夫と一緒に商談に出かけたとします。その時の夫の話し方があまりにも拙くて、お客さんの表情が硬くなっていたことに妻はイライラしたとします。
もっとああすればよかったのに、こうしなければよかったのに・・・と相手を責めたい気持ちでいっぱいになってしまいます。そこで、妻があの言い方は良くない、ここはああすべきだった、あなたの話し方でお客さんはこんな気持ちになっていたはず・・・など夫に対して、まくしあげたらどうなるでしょう。
最初のうちは静かに聞いていた夫も、忍耐の緒が切れるのは時間の問題です。
いつの間にか、自分のことは横に置いて、家族の前で神のように、上から指図していたのです。自分自身が相手を変えようとしたところで、相手をどうこうすることはできません。相手が変わるのは、相手が心からどのことに問題意識を持って、自分が変わる以外ないと認めて、自分の限界を知ることです。
誰も自分の領域に無理やり入ってきてほしくない
上の図での問題は、この男性が自分の理想に対して「押している」という点です。自ら向かっていくのではなく、押されているということに強制力があります。人は誰でも「無理やり」何かをさせられることを好ましく思いません。
例えば、友人関係のランチ一つであっても、合意の上で初めて人間関係は良好に保てることができるのであって、相手の都合を一切無視して、無理やり、日取りや何やら全てを決められた約束なんて、不愉快以外の何ものでもないでしょう。
誰もが自分自身を持っています。自分自身を持っているというのは、自分の自由を持っていることであり、自分の考えに従って、選択していきたいと思っています。(これは例えば、誰かに指示される方が楽でいいわと思う人も、今度はそれが自分の選択として、自分の自由を使って、指示を仰ぐ状況を選択しているのです。)
この自由という神聖な領域には、誰も土足で入ってきてほしくはありません。自分が門を開けた時に、人を受け入れたいのであって、門を閉めているのに、無理やりこじ開けようとする行為は、反発を買います。
「相手を怒らせてしまう」というのは、相手の門が閉まっているのに、こじあけて土足で入り込もうとしているからです。
悲観的になる必要は全くありません。門はいつでも閉まっているとは限らないですし、タイミングが違えば、言い方が違えば、相手の態度も変わることもあるでしょう。
もしくは、相手を変えようとするその役割を果たすのはそもそも「あなた」でないこともあります。この場合は、どれだけ相手に向かっていても、いつまで経っても衝突が絶えません。役割から退くことが必要になります。人によってはそれは親離れ、子離れを意味するかもしれません。
家族関係というには、特に密接な関係であって、なんでも言える関係になっていることも多いです。だからこそ、自分と相手の境界線をつくって、自分の理想を相手に押しつけようとしないこと、入るべきでない相手の領域に土足で入り込まないことはとても大切です。
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