共同体感覚の実践方法(アドラー)
前回の記事(共同体感覚の始め方(アドラー))の続きです。
「超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本」(中野明著、Gakken)にわかりやすい図がありました。
⇩この図です。本文P109から、写真を撮りました。
面白いのが、共同体感覚が高い人というのは、『自動的に』活動性も高くなって、社会的に有用な人の位置づけになる点。つまり、共同体感覚が本当に高いなら、自然と社会に貢献しようとする思いも湧いてくるし、自然と活動性も高くなってくるとアドラーは言っているんですね。
ただの評論家や、行動をしない口だけの人を除いて、本当に共同体感覚が高い人で、活動性が低いという人は存在しないので、一つのマスが空白になっています。
目次
社会的に有用な人になるには
さて、アドラーの共同体感覚によれば、社会的に有用な人になるためには、「共同体感覚が高く」、「活動性が高い」人になることです。
先ほども書いたように、これは、「共同体感覚」だけ高くしておれば、必然的に活動性は高くなるから、結局は共同体感覚を目指していけばいいってことですね。
私みたいな、元完璧主義者(今も若干完璧主義者)は、こういう話を聞くと、「さあ、共同体感覚を持とう!」みたいになりがちです。
でも、これが落とし穴。
私たちの目的は完璧じゃなくて、向上!
ですね。完璧なんて、恐らく一生かかっても、無理だし、無理でいいんです。
それよりも大切なのは向上することです。
手離したい2つのこと
では、共同体感覚を持って、向上していくためにはどうしたらいいのでしょうか?
共同体感覚を持つためには2つのものを手離す必要があると思います。手離すと言う表現は、結構極端なので、「少しずつ薄くしていく」イメージです。
1、自己利益
(自分が得したいと思う気持ち)
2、自己優越
(自分が優れた人でありたいと思う気持ち)
この2つです。
両方ともに共通している言葉が「自己」という言葉。力も思いも全部「自分」に向くと、どんどん気持ちが重くなってしまいます。そして、気持ちが重くなると、鬱っぽくなるし、共同体感覚なんて考える余裕もありません。
共同体どころか、地域どころか、家族どころか、まずは自分って・・・また自分に戻ってしまいます。
ではどうやって、この2つを手離すのか?です。
実は、面白いことに、手離そうと思えば、思うほど手離せなくなることってありませんか?やめなさいって言われたら、やりたくなる。離しなさいと言われれば、掴みたくなる・・・
人ってそんな単純じゃないですよね。
だから、私は「意識しなさい」とか、「やめなさい」とかそういうことばっかりいうのは、あんまり好きじゃないです。それができれば誰も苦労しません。
先に挙げた2つも手離そうとすれば、するほど、「こうすべきなのに〜」とかいう考えに縛られて、どんどん頭でっかちになって、苦しくなってきます。
つまり、手離すことをゴールにしているからおかしくなるんです。
あの2つ手離せたら、神様です。
無私無欲です。そんな域に今日明日、もしくは1年2年でも、到達することなんて、ほぼほぼありえません。
手離すことをゴールにしちゃうと、また完璧主義に陥ります。
だから・・・
完璧ではなくて向上
完璧を求めるのではなくて、向上をどこまでも追求するんです。
完璧主義者はその点弱いです。いつも◯か✖️か、ALL or NOTHINGで考えてしまうから。
そうではなくて、たった一つ、まずは共同体のために、自己中心や自己優越から離れて、ためになることをしてみる。
たとえば、
夫に嫌味を言うのをやめるとか・・・(自分の価値観や完璧を押し付けるのをやめる。)
人をもてなすとか・・・(自分の時間、リソースを他人に与え、他人を喜ばすとか。)
相手からの感謝を期待するのをやめるとか・・・(認められたいという自己中心を手離すとか。)
そういう小さいことからですね。
そういうのの積み重ねです。何も「共同体感覚」ってすごいことじゃなくて、日常の小さなことの積み重ねで出来上がっていく感覚と思います。
今日は何から始めますか?
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