【相談事例】自己表現がうまくできない障害を持っている人との関わり方
【相談事例】
発達障害を持っていて、自分の気持ちをうまく表現したり、愛情表現できない人がいる。先日、人に対して思いっきりぎゅっと締め付けるようにハグをしたり、お腹を殴ったりして、相手の人にかなり痛い思いをさせていた。本人は悪気があるわけではなく、反省はしているが、こんな暴力は絶対に受け入れられることではないので、本人としっかり話をしたい。暴力をしないように、自分はどのように話をすればいいのかと思っている。(50代・女性)
今回の相談は、この障害を抱えた方の指導者の立場に当たる女性からの相談です。
私たちは普段、自分の心で何かを感じても、それをストレートに表現したり、しなかったり、時と場所に応じて判断しています。
誰でも、みんなが心に思ったことを好き勝手に言っていたら、恐らく毎日ケンカばっかりになってしまうかもしれませんね。それくらい、時に自分の気持ちの表現を抑制したり、ある程度はオブラートに包んで、当たり障りのないように言ったりする微調整はやはり必要です。なぜなら、それが潤滑油となって、スムーズな人間関係に役立っているからです。
相談者が話されている方のように、自分の気持ちがうまく表現できず、好きと思ったことをストレートに好きとしたり、嫌いをそのまま嫌いとしてしまうのは、このオブラートが全くなく、感情がそのまま行動に表れています。
その人が抱えている問題の一つとして、これから社会で少しでもスムーズに、より心地よい人間関係を持てるように、指導にあたる立場の人が、1:1でしっかり話したいと思われています。こう言った話し合いを持つことはすごく大切なことですよね。
ただ、ここで注意しなくてはいけないは、「暴力の問題」と既に表現していることです。このままでは、暴力という言葉を、本人との対話の中でも使ってしまうでしょう。
「暴力」というのは、相談者が、その人を見て、これは社会的に暴力に値するものだと判断したものに過ぎません。相手にとってその認識があるかどうかはまた別の問題です。
確かに状況だけをみれば暴力です。人を殴ることは許されるものではありません。それを障害を持っているからという理由で我慢することも、障害を持っていることを理由に許容することもできません。
ただ、この方と1:1で対話をしようとした時に、いきなり「暴力」という音葉を使うことは、話す前から、相手の問題を決めつけ、完全にバツを突きつけることになります。
障害をもたれている本人にとっては、自分の気持ちをストレートに表現しただけに過ぎません。暴力をしようと思ってしたわけでは当然なく、本人も「やってしまった」ということを自覚し、反省しています。
そんな中で、この社会の中では、そういう行為は全て暴力と見なされ、本人の意図はどうであれ、許されるものではないということを相手にわかってもらう必要があります。
相手と対話をし、人がその対話によって、行動が変わるのは、心がオープンになって、本当に心が「こうしよう、そうしよう」と感じた時です。
この方に、「こういうことはよくないんだ。これからはやめよう。」と少しでも気づいてほしいことが目的だったのに、いきなり暴力という言葉を使ったばっかりに、相手を傷つけてしまったり、自信を奪ったり、自分は暴力をしてしまうような人間なんだと自分を卑下したりすることにも繋がりかねません。
対話において、自分の価値観を押し付けたり、自分の決めつけから話をするのは対話ではなく一方通行の会話になってしまう恐れがあります。まずは、「あの時の暴力の件だけど…」のように、「暴力」という言葉を使うことを避けることです。
そして、「指導しなくては!」と先走る気持ちを抑えて、相手からできるだけ話してもらい、そして、ハグをしたこと、殴ったことに対して、相手から説明してもらい、その中から出てきた「相手の言葉」を使って、会話をするようにします。
相手は自分のことを聞き入れてくれる安心感と、この対話は「自分のための対話である」という信頼関係の上に、初めて対話はうまくいくのです。
問題は問題として一旦横に置いて、落ち着いた口調で、心が開かれた状態での対話は、焦って問題点を指摘するよりも、遥かに良い変化へと導いてくれる可能性を持っているのです。
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