子供に「クソ死ね」と言われた
子供にはクソ死ねと言われ、嫁には腫れ物やそもそもこの世に無いものみたいな態度されてるので、生きる希望無いです。とりあえず子供が成人するまでお金稼がなくちゃ。
どうせ終わるならオリンピックとパラリンピック観て終わりたい。(匿名)
家族から「クソ死ね」と言われるのは、本当心痛いものです。
人から「クソ死ね」と言われた時に、守り方の一つは、自分は絶対に同意しないということです。心に鉄の板を挟んで、意地でも同意しないんですね。
人から「クソ死ね」と言われるよりもはるかに辛いのは、自分が自分に、「確かに「クソ死ね」の存在かも」と思うことなんです。この方が、遥かにストレートに心を傷つけます。
人はそう簡単に変えることはできませんが、「自分が自分のことをどう思っているか」は自己完結することです。まずは、自分は何としてでも、何があっても、少なくとも自分は、絶対に自分の味方でいるのは、こころの栄養として、とても大切なことです。
何があっても、自分は自分を守る、可愛がる、優しくする、同意する、褒める、励ます、慰める・・・そういう存在であってほしいと思います。
他人の攻撃に打ち勝つ方法は、他人を攻撃し返すことでも、他人の要求に応えることでも、他人が認める存在になろうと努力することでもなく、他人が判断する自分など、スルーすることなんですね。
特に家族の場合は、「家族なんだから、自分のことを大切に思うべき!」みたいな考えが邪魔して、つい、相手を責めたくなってしまいます。でも、やっぱり自分を守ることが先です。家族をどうこうするのは、自分が元気になってからです。
他人が自分のことを、どれほどバカと言おうが、死ね言おうが、クソと言おうが、自分が自分をどう思っているか、こっちを大切にすることです。
他人が放った心ない言葉によって、自分に対する見方を他人に合わせてしまうと、次第に他人が言うことを信じてしまい、他人に人生を支配されてしまいます。
そして、他人に支配された人生は、生きにくく、心苦しく、自由を感じられず、息苦しいものです。
自分が自分に対して、どう語るか、どう見なしているのか、ここに敏感になるんです。
自分のことを悪く言う家族からすぐに逃げることはできなくても、自分のことを悪く言う家族に、少なくとも自分は同意しない、全く同意しないんです。
悪い言葉を放たれても、放った瞬間に、空気に舞って、水蒸気のように消えていく・・・そんなイメージです。他人の悪い言葉を、自分の心の中に受け入れ、心の中で反芻し、耕し、その悪い思いを増幅させることはやめていくんです。
悪い言葉は、ゴミのように全く価値のなく、取るに足らないものですから。
人の希望をくじくような言葉、心ない言葉、人を傷つける言葉は、クズのようなものですから、たとえ、発している相手が家族だろうが受け入れないんです。
相手に言い返してやろうなんてことも思わず、ただ消える水蒸気のように無価値の言葉として、手放してスルーして、相手にもしないでかわしましょう。
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