仲がいいだけではうまくいかない。家族関係に必要な“礼儀”の正体
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
家族との距離が近いほど、
「気を遣わなくていい」「何でも言えるのが自然」という言葉を耳にします。
私自身、そう思っていた時期があります。
でもそんな中で、気づいたこと。
“何でも言える関係”と“何でもしてあげる関係”を続けていたら、
どこか息苦しくなる瞬間があったということです。
気づけば、家族の問題を自分の責任のように感じていたり、
自分の人生を後回しにして、誰かの悩みをずっと抱え込んでしまったり。
そのとき、
「親しき中にも礼儀あり」って、家族にこそ必要なんじゃないか?
と感じました。
今回は、そんなテーマを取り上げたいと思います。
目次
「礼儀」は“気を使うこと”ではない
礼儀というと、挨拶をするとか、お礼を言うとか、優しく接するとか・・・。
そんなイメージがあるかもしれません。
でも、私がここで伝えたい“礼儀”はもう少し深い意味。
それは、
- 自分の課題と相手の課題を混ぜない
- 相手の人生に踏み込みすぎない
- 自分の気持ちを犠牲にしない
- 「ここから先はあなたの領域」という線引きを守る
という、境界線を保つための態度のこと。
家族だからこそ、遠慮が消えて、境界線も消えやすいもの。
それが結果として、干渉になり、依存になり、
お互いの成長を止めてしまうこともあるんです。
“助ける”と“背負う”は違う
私自身、家族が困っていると「なんとかしなきゃ」と思う癖があります。
放っておいたら冷たい気がするし、
何もできなかったら無責任な気がするし、
相手が落ち込んだら、自分まで胸が苦しくなる。
でも、大切なのは、境界線。
困っている時に“助ける”のはいい。
でも、相手の課題を“背負う”必要はない。
ということ。
むしろ、なんでも先回りしてやってしまうと、
相手が自分で考える機会を奪うこともあるんですよね。
礼儀とはつまり、
相手の人生を尊敬し、その責任を奪わないこと。
そのために、線を引く勇気がいるんです。
「礼儀」は、お互いが成長するスペースを守ること
礼儀って、まさに、距離を置くためのものじゃなくて、
お互いが自分として立つために必要なスペースを守るためのもの。
家族が自分の領域を持つことで、
自分自身の世界も守られます。
無理に踏み込まない。無理に背負わない。無理に合わせない。
家族は近い存在だからこそ、礼儀が必要。
その礼儀とは、お互いの領域を尊重し、踏み込みすぎないこと。
境界線=冷たさではなく、境界線=尊重。
近すぎることで生まれる摩擦を減らし、
お互いが自分の人生に集中できる土台になるんです。
そうやって境界線を持つと、
むしろ家族の関係が健やかになっていきますよ。
◎対話室からの問い
これまで家族との関係で悩んだことにおいて、
「これは本来、相手の課題だったな」と思えることはありますか?







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