今日、目覚めて、ベッドに入るまでに関わる『すべての人』と『自分』の《不完全》を受け入れよう
ーこころの栄養
境界線と聞いて、どんなイメージを持ちますか?柵?線?壁?バリア?
あんまりいいイメージがないかもしれません。
「人間関係に境界線を持ちましょう。」
と言ったら、ネガティブに聞こえますか?
まるで、他人と距離を置くような、どこかシャットダウンするような、冷たいイメージを持つかもしれません。
では、このように言ったらどうでしょうか?
「相手の居場所を認めましょう。」
少しイメージが変わると思います。
そう、境界線を持つというのは、相手の居場所をしっかりと認めていくこと。それは、つまり、自分の居場所をしっかり認めることです。
ここまでは私、ここからはあなた。
と、自分の領域と相手の領域を尊重します。時にはノーとも言います。反対もします。
相手の居場所を認めているからこそ、私はここまでに責任を持ちます、と自分のできる範囲も明確にします。誰も神様ではありません。何から何まですることはできません。
できることには限界があるので、「できないことがある」という不完全さも認めます。
自分に対しても、もちろん、相手に対しても。
自分の責任範囲を堂々と受け入れます。他人に合わせて、自己犠牲をしたり、繕ったりもしません。逆に、自分の思い通りにするために、他人をコントロールしたり、無理を要求したり、操作したりもしません。
相手の居場所を認めた上で、自分は自分の人生を堂々と歩みます。
人間関係の衝突、不仲やすれ違いは、自分の限界を認め、自分の境界線を守り、そして、相手の居場所を認めることで、解消されていきます。
逆に、相手に自分の思い通りを求めたり、敬意を払わなかったり(=相手の居場所を軽視すること)すると、簡単に相手の境界線に侵入し始めてしまいます。それは、泥のついた靴で他人の家に入るようなものです。
曖昧な境界線を持った人間関係は壊れやすいです。
困っている人を自分の限界を考えることなく、助けようとしてしまって、自分自身が疲労困憊して病気になってしまったり、
実は人からものすごく失礼なことをされているのに、正当に拒否することをせず、我慢し続けて、理不尽な扱いをされ、自分を傷つけることを許してしまったり、
本当は大切な家族なのに、やることなすこと何から何まで気に入らなくて、好きになれなかったり、
自分の心の声を押し殺し続けた結果、不満が爆発して、言いたくもない嫌味を言ったり、そしてそんな自分が嫌になったり・・・。
様々な問題は、人間関係に「適切な境界線」が持てないことからやってきます。
どこで自分は他人の領域に介入したんだろう?もしくは、他人を自分の領域に介入させたんだろう?
と、棚卸し、自分と相手に「線」引きながら考えていくと、様々なところで境界線が機能していない点があったことに気づいていきます。
自分の責任は自分で負い、他人の責任範囲に介入しません。他人は他人の人生を歩むことに全く口出しせず、自分は、「自分」に留まり、自分らしく生きることを大切にします。
これが、こころの栄養で大切にしている「人間関係の境界線」です。
