【過剰な責任をもって疲弊している人へ】親子の役割逆転はすぐにやめる

親子の役割逆転は、子供なのに、親の責任を自分のものかのようにして引き受けてしまうことです。今回は、そこから派生して、「不必要な責任を感じて生きづらさを感じている人」指します。
役割逆転は、子供時代や、幼少期に形成されることも多く、もはや無意識で、知らず知らずのうちに、自分の考え方の一部になってしまうこともあります。自分がまさか、そんな「責任感」で苦しんでいたとは知らずに、様々な問題を自分のものとして抱え込んでいたかもしれません。
負わなくてもよい責任が自分を苦しめる親子は、親子です。
親が親の立場をしないことは、子供が親の立場をしないといけない理由にはなりません。
また、両親の喧嘩が多いのは、両親の問題です。なのに、「私がいい成績をとらないと家族がギスギスしてしまう。」と感じて、そのために一生懸命に勉強を頑張るようであれば、これは既に親子の役割逆転が生じています。
家族円満とか、家庭がスムーズにいくことは、本来、子供が「責任」までは感じなくてもいい領域です。子供がこのようなことを無意識で感じてしまっていると、成長して、大 ...
共依存の家族問題にアドラー心理学を推奨する理由

今回は、アドラー心理学について取り上げます。
私は、カウンセリング手法として、特定の心理療法をサポートしているわけではありませんが、家族問題については、アドラーの考え方をおすすめしています。今回は、その理由について書いていきます。
1、課題に分離について扱っているから家族問題というのは、多くの場合、「あまりにも密接した」関係の中で生じてしまいます。友人関係や仕事の悩みとは少し種類が違って、お互いが、いい意味でも悪い意味でも「あまりにも親密」になりすぎた為に起きてしまった問題が多いです。
「親密さ」は家族関係には確かに必要なものであるけれど、同時にこの「親密さ」ゆえに、本来は相手の領域であるにも関わらず、土足でずたずた入り込んでしまうようなことがあります。相手の問題であることも自分の問題かのようにして、次第に癒着し始め、大きな問題につながってしまうのです。
家族問題のテーマのカウンセリングは、様々なものがあります。親からひどい悪口を言われた、配偶者の浮気、離婚、依存症、DV、うつ、引きこもり、ギャンブルなど様々です。ただ、課題は様々で ...
【本の紹介】バウンダリーズ境界線ー地引網出版

今回オススメする本は「バウンダリーズ境界線(地引網出版/ヘンリー・クラウド、ジョンタウンゼント著)」という本です。
この本は、共依存について非常にわかりやすく書かれています。著者は心理学者です。聖書の引用がありますが、宗教は関係なく、キリスト教に馴染みがなくても、問題なく読めます。
特に、アルコール依存症、引きこもり、DVなど、家庭に深刻な問題を抱えている人が、問題を抱えた当事者とどう向き合うべきなのかについて悩んでいたら、今まで見えていなかった新しい視点に気づかされると思います。
本書のテーマは以下のようなものです。
人は、愛に満ち献身的であろうとするばかりに、自分の限界を忘れてしまうことがよくあります。あなたも次のように思ったことはありませんか?
*限度を保ちつつ、なお愛に満ちた人であることは可能だろうか?
*私の時間、愛、エネルギーそしてお金を欲しがる人に対して、どう答えたらいいだろうか?
*境界線を引こうとするとき、罪悪感を覚えるのはなぜだろうか?
・・・
・・・
自責の念を解放する方法

自分を責めてばかりいると、毎日が苦しくなってきます。しかも、ひとたび自責の念を抱き始めると、本当は自分と全然関係ないことにも関らず、「自分のせいなんだ!」とどんどん責め続け、自責の念が増幅してしまう可能性があります。今回は、そんな自責の念を解放する考え方について書いていきます。
1、毎日が本番ではなくて、リハーサルと考える完璧主義だったり、理想へのこだわりが強かったり、自分の失敗が許せなかったりすると、自責の念に陥りやすくなります。
現実が、自分が「良し」としている状態に進まないと、仮にその理由は全く他のところにあったとしても、自分でわざわざ問題を集めて、抱え込んでしまうのです。
逆に言うと、自責の念が強い場合、理想や完璧へのこだわりが強いのです。それは、毎日が、まるで何かの「本番」であり、間違えてはいけない、ミスをしてはいけないという強い強迫観念に駆られている証拠です。
うまくいかなかったり、成功できないと、さらに、こんな自分ではダメだと自己啓発をしたり、自分に益々厳しい課題を当てたりもします。そうやって、知らず知らずのうちに自分 ...
【相談事例】母から不本意な悪口を言われ続けられるのが苦しい

【相談内容】
同居の母が周囲の人に自分の悪口を言う。自分がどれだけ母を手伝っても、母は周囲の人(親戚や近所)に、「娘は何もできない」と不本意なことばかり言う。ただの嘘なので、ほっておこうとは思っている。ただ以前、うつ状態になり、本当に苦しんでいる時にも、母は助けてくれなかった過去のことを思い出すと、嫌な思い出が蘇ってきて、苦しい。家を出ようかとも考えている。(40代 女性)
親子関係というのは、他の人間関係と違って、少し特殊です。夫婦関係ともまた違って、親子関係だけは唯一「生まれた時からつながっている」という特別な人間関係です。
いい意味でも悪い意味でもあまりにも「親しみ」がある関係でもあるので、もはや無意識に子(もしくは親)をまるで「自分のもの」のように扱ってしまいがちです。その結果、境界線が機能せず、喧嘩や衝突が起こります。
近すぎる関係だからこそ、依存関係になってしまい、知らず知らずのうちに、自分の存在を承認させる対象として、子供や親を用いてしまうこともあるんです。
母親の課題をまずは切り捨てる ...アドラー心理学「嫌われる勇気」自己中心性(10)

今回は、自己中心性について取り上げます。
アドラーの言うもう一つの「自己中心性」自己中心的な人といえば、どんな人を思い浮かべますか?自分勝手な人、自分本位な人、自分の思い通りにするために、他人を困らせたり、迷惑をかける人をイメージするかもしれません。
こういう人は確かに自己中心な人ですよね。世界がまるで自分中心にすべて回っているかのように振舞います。
逆に、自己を無にして、家族のために、誰かのために身を粉にして働いたり、息子や娘のために、何から何まで尽くす人もいます。
ただ、このような他者への貢献の場合、もし、必死に頑張った人たちが、周りの家族から、何も感謝されなかったり、むしろありがた迷惑のように扱われたら、どのような気持ちになるでしょうか。
自分がやっていたことは、間違っていたのだなと素直に認められたらよいですが、心の片隅でどこか「こんなにやったのに」という不平不満が出てくる可能性が大いにあります。
そうなると、自分がやってきたことが全て否定されたような気持ちになって、大きく落ち込んだり、虚しくなってしま ...
過去のことが心に引っかかる時に考えたい3つのこと

今はまるで何事もなかったように相手と付き合えても、実は、過去にその人と、ものすごい喧嘩をしたり、バトルをしたり、不満や嫌味を言い合ったりした背景を持っていることがあります。
今が良ければ全て良しのはずですが、ふとした時に、ふと過去の記憶が蘇ってきたり、なんとなく心の中で保留中になっているような感じがして、気になることがあります。他人であれば、気にならなくても、強いつながりを持つ家族なら尚更です。
今回はそんな時に考えたい3つの事について書いていきます。
1、「そういえば・・・」に潜む罠親や配偶者に対して、過去のことをふと思い出して、「そういえば・・・」と話を切り出したくなる時があります。心の中では、『今、うまくいっているのはいいけれど、そういえば、ああいう問題あったよね・・・。あの問題について何も深く話し合っていないよね。』と考えて、整理したいような気持ちになるのです。
今、目の前で、何か問題が起きているわけでもないのに、自分のタイミングで、自分の都合で、「そういえば・・・」と切り出し、過去のことについて話し合おうとするのは、自己都 ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」共同体感覚(9)

今回は、アドラー心理学の中にある「共同体感覚」について取り上げます。
アドラーの言う「共同体感覚」とは何か?共同体感覚とは、アドラー心理学の中でもとても大切な考え方です。
でも、同時にこれまでの課題の分離や、幸せになる為の変化を理解して実践しないと、単独ではなかなか理解し難く、頭では分かっても、実際に取り組むのはすごく難しく感じてしまいます。
アドラーは、悩みのほとんどは、対人関係といいましたが、対人関係の理想像、まさにゴールがこの共同体感覚です。
共同体感覚は、英語でsocial interestと言い、「社会への関心」という意味です。人は1人では社会を構成することが出来ず、2人以上、つまり「私とあなた」の存在で社会になります。
難しく考えずに、家族とか、会社とか、友人とか、そういう関係をイメージしてみて下さい。共同体感覚は、まさにこのような関係で、他者を完全に「仲間」と見なします。
例えば、家族連れがチケットを買おうとディズニーランドのチケット売り場で並んでいたとします。途中から、お父さんだけが並び始め、 ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」全体論(8)

今回は、アドラー心理学「全体論」について、取り上げます。
心と身体は切っても切り離せないアドラー心理学は別名「個人心理学」とも呼ばれています。個人心理学は、individual psychologyと訳され、このindividualという単語は「(これ以上)分割できない」が語源になっているそうです。
個人とは、これ以上、分けられない最小単位であることー1人がこれ以上分割できないものであることは、考えてみれば、当たり前です。私たち人間は、自分の手も足も髪の毛も、自分に所属するものとして扱います。
アドラー心理学では、二元論的価値観に反対しています。例えば、精神と身体。もしくは理性と感情。そして意識と無意識などについてです。もちろん、それぞれは別個のものとして存在していますが、「自分の精神(心)が、こうするから、身体がこうなった」というように、あたかも精神が自分のものでありながら、他の誰かのような言い方、扱い方をすることを否定しています。
よく考えれば、私の手のせいで、足のせいで、髪の毛のせいで、こうなった・・・というのはおかしなことで ...
頭ではわかっているけれどできない時の3つの理由

もうすぐ今年も終わりです。2018年はどんな1年でしたか?新しい年を迎えるにあたり、来年は「こんなことをしたい!」と思っていることもきっとあると思います。
このブログは心のことがテーマですので、来年度特に「何」をするかよりも、「こんな気持ちで過ごしたい」という思いの方を大切にしたいと思います。
思い描いたことを、実現する年にするために、心のブレーキや妨げになる要因はできるだけ避けたいもの。ということで、今回は、ついついありがちな「頭ではわかっているけれどできないこと」について、3つの理由を書いていきます。
理由1:「理想」に固執しているから人は誰しも、何らかの「理想」があります。そして、その理想に近づくために努力します。
「理想を持った方がいい!」とよく言いますが、このことは少し慎重に考えた方がいいです。なぜなら、高い理想や目標があると、それに引っ張られて、現状に満足ができなくなったり、現状の悪いところばっかり目についてしまうこともあるからです。
もちろん、心が元気な時は、「さあ、理想に向かって頑張ろう!」と、日々邁進し ...