後悔を整理しなくてもいいーでも、言葉にすると見えてくるもの
前回の記事で、「後悔は後悔でいい」と書きました。
とはいえ、「それでも頭から離れない」
「ぐるぐると考えてしまう」ということがあると思います。
過去の後悔がよみがえる時はー「後悔は後悔でいい」と立ち止まるという選択
そういう気持ちになること、とても自然なこと。
今回は、このような思いに、
どんなアプローチをとっていけばいいのかを取り上げます。
まず最初に、後悔している時、
そして、それが頭の中でぐるぐるしている時は、
過去の出来事にすごくとらわれているんです。
あの選択
あの判断
あの時の自分
過去のある1点を切り離して、
今の自分が客観的に見て、
責めているような感じです。
何度も何度も同じシーンや、
同じような感情が浮かびます。
なので、あえて言葉に書いてみて下さい。
たとえば、私だったら、
私自身は、大企業をすごく早い段階で、思い切ってやめた経 ...
過去の後悔がよみがえる時はー「後悔は後悔でいい」と立ち止まるという選択
過去の後悔。
ああすればよかったな。
ああしなければよかったな。
気持ちが下がっている時、
ふとした時、
たまに湧いてくる過去の後悔。
これに対して、以前私は、
学びになったとか、活かそうとか、だからこそ○○とか。
そうやって前向きに考えるのが多かったんです。
損したくない気持ちか。
損して得取れの精神か。
とにかく後悔を後悔のままにしたくない、
そういう思いが強かったんですね。
すると、どうなるかというと、
現在で挽回しようとしたり、
これからの生き方を見直したり。
どれも、素晴らしいし、
活力になる。
けれど、今回伝えたいこと。
それは、後悔は後悔でいい。
後悔でピリオドというものもあるということ。
無理やりそれを好転させようとすること、
なかったことにすること、
が逆に、後悔という目に見えない紐に縛られてしまう。
後悔は後悔。
確かに ...
究極、どう思われたって、どうでもいいー私が「自分を後回しにする人生」を卒業した理由
今回は、私がずっと大切に握りしめていた
「ある執着」を手放した話を取り上げたいと思います。
私はこれまで、自分の家庭環境を振り返ったとき、
「ネガティブな言葉や激しい喧嘩」が繰り返される中で育ってきました。
自分でも気づかないうちに、心は、
そのたびに激しく反応し、傷ついてきたと思います。
そして、そんな環境だったからこそか、
私は「理想的な家庭」に対して、人一倍強い憧れを持っていました。
でも、気づいたこと。
それは、その憧れが、いつの間にか他人との「比較癖」を強め、
私から現実を見る力を奪っていたことです。
大人になっても、自分にとって思わしくない状況が起きると、
無意識に「見ないふり」をしてしまっていたなと。
ふりをしたって現実に起きてることが起きてるから、
ちゃんと体は反応してるのに。
「こんな現実は受け入れられない」
「なかったことにしたい」
そう願うあまり、現実 ...
新しい年に足さなくていいものー考えすぎを手放し、自分の人生に集中する
あけましておめでとうございます。
新しい1年の始まり。
私は、普段使っているクローゼットやキッチン回り、
洗面台周りなど、習慣になってしまっているもの、
これでいいかな?と確認しながら片づけを小一時間しました。
こういう節目節目で見直すと、
「なんでこんなことに気づかなかったんだろう」
と思うようないいアイデアや改善案が、見つかります。
私にとって、「そのままにしていたものを、一度立ち止まって見直す時間」でした。
さて、新年と言うと、新しい目標を立てたりとか、
今年は○○をしよう、○○の夢があるなど、「何をする」ということに注目しがち。
でも、あえて提案したいのは、何をやめていくかということ。
ただでさえ、普段忙しい日々を送っているのに、
新年を機に新たな「リストを追加」するのではなく、
どんな「リストを減らせる」のかという視点。
私はこの余白づくりってとっても大切だと思っています。
こうやって、何をするか、しな ...
「否定された気」がしたときの、気持ちの取り扱い方
実際に誰かから何か否定されたのかっていうと、全然そうじゃない。
けれども、人との会話の流れの中で、
なんとなく自分自身が否定されたように捉えてしまった。
今回は、そんな気持ちについて、取り上げたいと思います。
否定された気持ちというのは、これ、他でもない自分自身のものですね。
相手が自分を否定してきた場合は、これは相手のものですから、境界線を持てる。
つまり、相手は自分をこう見るけれども、自分は自分をどう見るっていう視点。
これはすごく境界線が活きてくるもの。
自分自身が「否定された気持ち」に解釈したものっていうのは、自分自身のもの。
こういう気持ちについて考える時に、
「事実相手は否定したの?相手は否定してないよね。」「だから、いいじゃないか」というふうには簡単にはいかないんですよね。
だって、ここでは相手は関係なく、自分がそう思ってしまうっていう・・・。
まさにそのことだから。
だから「事実として否定 ...
心が追いつかないまま、人間関係を続けてきたときに
自分の気持ちが追い付いていないのに、
いい人であろうと、かっこいい人でいようとして、
人間関係の中で感じる些細な気持ちをないがしろにし続けると・・・。
いつか爆発します。
伝えたいことは、爆発した自分を責めないこと。
まして、爆発した自分を、人間関係はまだまだとか、
境界線が引けていないなんて分析しない。
爆発した時に、気づいてほしいこと。
それは、「相当我慢していたんだよ」ということ。
で、何を我慢していたのかをちゃんと言葉にしてみてほしい。
いきなり相手を動かそうとしたり、
あの人がこうだったらって自分以外のところに飛ぶんじゃなくて。
自分が一体全体何に我慢していたのか。
そんな我慢していたことを、良かったら書き出してみてほしいです。
もし私が書き出すとすると、
本当は義理の兄夫婦に色々仕切られるの、嫌だったけれど、
荒波立てずに我慢していたなとか、出てくる。
そういう我慢をどんどん書き出してみる。 ...
「そんな言い方ないよね」と感じたとき、心の境界線を思い出して
「そんな言い方ないよね」と思った時って、
心がざわついたり、もやっとしたり。
反論したくなったり、傷ついたり。
今回はそんな気持ちについて、境界線の観点から、取り上げたいなと思います。
「そんな言い方」をしたのは、誰の感情?まず最初に、「そんな言い方はないよね」と思った、
「そんな言い方」を発した相手は、自分ではないわけですよね。
この当たり前のところが、すごく大切なんです。
「そんな言い方」をしたのは、自分ではない相手。
相手の感じ方、捉え方、表現の仕方。
それらがすべて集まって、「そんな言い方」の言葉になるんです。
「そんな言い方」が相手の言葉から発せられる過程の中では、
相手の心の中でいろんな動きがあるわけなんです。
その動きを含めて、すべて相手のものです。
これは大前提ですね。
ある日、私はパエリアを作りました。
けれども火加減を間違えてしまって、底を焦がしてしまいました。 ...
謙遜と謙虚の違いとは?無駄な 「いやいや…」 をやめて人間関係をスムーズにする方法
今回は、「謙遜」と「謙虚」の違いについて取り上げたいと思います。
謙遜についてはともかく、謙虚という言葉は、
人を表現するときに言うことが多いものです。
例えば「あの人は本当に謙虚な人だね…」といった感じで言われます。
自分自身の謙遜や謙虚さについては、普段あまり意識することはないかもしれません。
だからこそ、今回はあえて、この二つの違いを整理してみたいと思います。
謙遜と謙虚の違い今回お伝えしたい「謙遜」と「謙虚」の違いを、
できるだけシンプルに表すと、こうなります。
謙虚:そのまま受け取ること
キャッチボールを想像してみてください。
自分に向かってボールが投げられ、それを胸で受け止めたかと思った瞬間、
すぐに投げ返す。
それが、謙遜のイメージです。
もはや、受け取ったのかどうかも分からないほどの速さで、反射的に跳ね返す。
そんな感じです。
一方、謙虚は、ボールをしっかり受け止めて、
胸に抱え、自分の ...
親に対して気軽に簡単に『助けて!』と言えない気持ちについて
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
もし、親に対して気軽に簡単に「助けて!」と言えないなら、
何かがおかしい。
今回は、そんな内容について取り上げたいと思います。
これは親を責めたいわけでも、
自分が悪いと言いたいわけでもなくて。
ただ、そう感じてしまう関係性には、
理由があります。
子供の頃って、親の絶対的な守りがないと、
生きていくことすらできなかった。
自分の生存には常に、親の的確な判断が紐づいていた。
これは比喩でも大げさでもなく、現実としての話です。
他の動物と違って、人間の新生児は、
本当にびっくりするくらい、周りの助けが必要。
的確なタイミングで、的確なケアがなければ、生きていくことすらままならない。
そうして生存が守られて、少しずつできることが増えていって、
自立し始めて・・・。
そして大人になって、自分の仕事を持ったり、結婚したり、子 ...
“私は何様?” そこから始まる、干渉を手放す人間関係ー干渉は相手を否定していること
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
人間関係の衝突のひとつに、「相手への過干渉」があります。
妻が夫に、親が子どもに、姑が嫁に…関係はさまざまです。
例えば、すでに独立した子世帯の生活に口を出す。
相手の服装にいちいちケチをつける。
自分が経験してきた価値観や基準をそのまま相手に押しつけ、行動を見張る。
これらはすべて干渉です。
そして怖いのは、こうした “あれこれ言う” 行動に慣れてしまい、
違和感すらなくなること。
干渉が「普通」になってしまうと、そこに信頼関係は育ちません。
干渉する側・される側、どちらも疲弊していきます。
今回は、そんな過干渉について取り上げたいと思います。
「あ、自分は干渉してるかも」と気づいたら考えたいこと相手を干渉していることに気づいた瞬間に立ち止まって、
自分に問いかけたい言葉があります。それは、「私は何様?」
干渉とは、相手のやり方にケチをつけること。 ...
