家族の好き勝手?!「付き合ってられない」と思うのは我慢しすぎ

悩みの正体

まずはじめに、「好き勝手」というのは、あなたにとっての「好き勝手」。自分の主観。あなたが、好き勝手していると思う相手自身は、好き勝手でも何でもなく、自由に生きています。

好き勝手という言葉は、自分は好き勝手をしていないと思っている人が使っていてそもそも自由に生きている人は、好き勝手も何も、自分の人生を自由に、淡々と歩んでいるだけです。

もちろん好き勝手です。自由に生きている人にとっては、好き勝手ということが、当たり前すぎて、わざわざ取り上げるようなこと!?ってなっちゃいます。

その上で、自分にとって好き勝手をする家族、自分に協力的でない家族、自分が言ったことと全然違うことをする家族、自分が良かれと思って言っているのに全く無視する家族、自分に損害をもたらしてくる家族に対して、イライラしている。家族のやり方、考え方、ペースに合わせられないと、悩んだり葛藤したりしている。

。。。

まず、大前提として、自分以外の人間は、自分とは、全く別の人間ですね。

夫婦関係においては、そもそも、男と女という明らかな生物の違いもあるし、また親子関係においては親と子という明らかな年齢の違いがあり、そしてもう一つは、そもそも、育った環境が一人として同じ人がいないということ。

なので、自分とはそもそも違う人間が、誰かのペースに合わせる必要は全くないし、合うことが重要なわけでもないし、合わない相手に対して、自分のペースに合わせるよう努力させる必要もないんですね。なぜなら、そもそも、違う人間だから。ここを徹底的に受け入れられると、すごく軽く生きられるようになってきます。

協力し合うことがあっても、協力させることはない

相手が好き勝手をすると文句を言っている人は、意識はしていなくても、「家族は、自分に協力するのが当たり前」だと勘違いしていたりします。

家族というのは小さなチームです。小さな組織です。歩調が合っていないと当然、色々と問題が起きます。組織として、チームとして、機能させようとするならば、当然、歩調が合っている方が、やりやすいに決まっています。合わないと、イライラしたり、問題が起きて当然です。

ただこれも、チームとして機能させようとするなら話であって、夫婦関係を解散させた選択をとった人も、世の中には沢山います。ゴーイングマイウェイを貫いている人も沢山います。

でも、それはしたくない。そうなると、これは、家族として、うまくやっていき、機能させ、仲良くしていきたいという自分なりのイメージを持っているにもかかわらず、そのイメージと現実が違ったり、問題が起き、イライラし、悩み、葛藤したりします。

悩み葛藤するのは、何かしらの無理な力が働いている証拠。

無理な力とは、相手の行動を見て、自分の基準に照らし合わせて、勝手に自分の中で、「相手は好き勝手やっている!」と判断し、どうしたら自分の基準に合わせてくれるだろうかと、自由に生きている他人に、自分の首輪をつけようとする圧力です。

イメージです。

たとえば、あなたは石鹸を買いたいのに、石鹸屋さんはシャッターを閉じて定休日にしていたとします。あなたが石鹸が欲しいお客さんです。あなたの「好き勝手な家族」が石鹸屋さんです。あなたは、今すぐにでも、お店を開けてほしくて、相手のシャッターを無理やりこじ開けようとします。

自分は仕事をしているけれど、相手は休みたい時、相手は仕事をしているけれども、自分は休みたい時、人それぞれ、ペースは様々です。

もしあなたが、強引にシャッターをこじ開ければ、相手はあなたの要求を一時的に飲むかもしれません。すると、相手のペースは明らかに狂ってしまいます。

たとえ一時的にあなたとペースが一致したように見えても、狂わされた相手は何かしら自分のペースに戻ろうと、挽回してきます。あなたのペースでは、相手には持続はしません。あなたのペースは、あくまでも、あなたのものなのです。

夫婦関係の場合は、お互いが大の大人ですから、相手が強要してきても、拒絶したり、もしくは冷静に、反対を示すことができます。それはむしろ、健全なことで、力ずくで何かが起きないことは、自立した人間関係になっているということ。

さて、ここまで、相手は相手のペース、相手は別の人間、と言われると、それは分かっている。ただ、相手を別に強要したいわけでも何でもなく、相手に

もう少し協力して欲しい!!!

と思っているだけかもしれませんね。

この言葉は、綺麗に聞こえますが、実は前置きに、

(私はこんなに我慢しているのだから)もう少し協力して欲しい!!!

が隠れています。

我慢すると、ペースを崩すんです。我慢をするというのは、相手のペースに合わせるということ。

我慢は、最初から要らなかったんです。我慢が必要な時点で、お互い、同じ方向を見てないんですね。コミュニケーション不足です。

自分は相手のペースに合わせたのだから、あなたも、私のペースに合わせてください!

というのが、妻が夫に言う「もう少し協力して欲しい」であり、夫が妻に言う「もう少し協力して欲しい」です。

自分の中に、もし、相手に「もう少し協力して欲しい」が出てきた場合は、いつ自分は相手のペースに合わせたんだろう…を思い返してみると、我慢していたこと、言いたいけど、言わなかったこと、妥協したことが、色々出てくると思います。

我慢はしない。「我慢したのに!」っていうのが理由で、家族から文句言われるって、逆の立場だったら、結構イライラすると思います。

それでもどうしても、イライラが収まらないなら、今はしばらく片目を瞑って見る選択をとることです。

変えられない相手を変えたい欲求は、相手を見続けている限り収まりません。なので、自分が相手を見るのをやめるということです。

石鹸を得るという結果に対して、頑張るのではなく、いまは閉じたいんだから、閉じたままでいいや~それでも、石鹸が欲しいのなら、私は、隣の町に言って、石鹸を買いに行こう。

これが、今はしばらく片目を瞑って見るということです。

面倒くさいと思います。目の前のお店のシャッターが開けば、すぐに手に入る石鹸があるのに、いちいち隣の町に行くなんて、面倒くさいんです。自分が動くくらいなら、相手が変わった方が楽なんですね。

相手を見ると、イライラするんです。

片目を瞑って見る選択を取るなら、相手を変えないんですね。変えないなら、自分が変わるしかないんです。石鹸なしにするか、隣の町まで面倒くさいけど行くか。考えて、選択し、行動する主導権は全部自分がコントロールできます。

もしかしたら、いつも我慢しているから、相手もたまには我慢してもらいたかっただけかもしれません。

相手を変えないからと言って、自分は100%相手のことを受け入れているわけではないです。今はシャッターを閉じている相手に対し、自分が両目でガン見をするのをやめるということ。

そして、もう一つの目がありますから、そのもう一つの目で自分をしっかり見てあげて、自分にできることをやる、別の何かをするのか、こういう積み重ねが、自分の人生の主導権を取り戻していきます。

結局のところ、自分にとって、都合のいい他人であってほしかっただけかも。家族といえども、自分にとって都合のいい夫、自分にとって都合のいい妻であってほしかっただけ。確かに楽ですよね。

でも、他人は自分の欲求を満たすために生きていません。当たり前ですね。

人はそれぞれ、精一杯の自分をやっているだけです。他人が自分のペースに合わせないことを切り離せるようになると、自分も他人のペースに合わせない選択をとれるようになってきます。

そうすると、人に流されることが少なくなったり、それこそ、他人によって、自分の価値を高めようとする考え方も手放せるようになってきます。

いい事づくしです。我慢をやめましょう。それでも我慢してしまう人は、メッセージから、自分が我慢していることを言葉にしてみて送ってください。

写真:大阪府 高石市の工場夜景

自己認識コーチング→バーネットなおコーチング
ブログ記事に関する質問やコメント→想いの箱(メッセージ)
こころの栄養ブログのテーマ→こころの栄養とは?
境界線とは何か?→人間関係の境界線について