「どうしてそんな風に思われないといけないの」は、心が疲れているサイン
今回は、特に夫婦関係や親子関係で、
ふと言われた一言や態度に、
「どうしてそんな風に思われないといけないの!?」
と思って、傷ついたり、イライラしたり、怒りが湧いてきたり。
そんな気持ちの向き合い方について取り上げたいと思います。
目次
湧いてくる感情は自然のことー感情は否定しない
まず最初に、「どうしてそんな風に思われないといけないの」って思って当然。
多分、あなたの中の何かが揺れた。
毎日精一杯やっているのに、できていない一つのことを指摘されたり
悪気は一切なかったことなのに、すごく感じ悪い言い方をされたり
日常の些細なこと。
「気にしなければいいじゃん」と言われればそれまで。
でも、あなたの心が揺れたんです。これは間違いないこと。
やらなきゃいけない「やらないこと」
ここで、相手の発言によって、自分の劣等感が明るみになったからだとか、
自己肯定感の低さによるものだとか、そんな分析は全く不要。
そんな方向にいったら、益々自分責めで、自己否定になってしまいます。
真面目な人ほど、自分に厳しい人ほど、
ちょっと頑張りすぎている人ほど、
こういう些細な苛立ちや傷つきをすぐに、頭でなんとかしようとする。
自分に戻って、自分がどう変われるのか。
そういう視点になる。
それはそれで素晴らしいことなんだけど、やりすぎはダメ。
そもそも、「どうしてそんな風に思われないといけないの」って思うこと自体、
人としてとっても普通で、自然なこと。
感情に任せて、
「どうしてそんな風に思われないといけないの」
その怒りの気持ちを、言葉巧みにその場で、相手には返さない。
やらなきゃいけない「やらないこと」はまずはこれだけ。
数時間経て、1日経て、少し時が経って、
あなたの気持ちがすごく落ち着いてから、それでも話題にしたいなら、する。
あなたの気持ちがざわついている状態ではNGです。
感情的になった時は、相手の言葉に、攻撃、反撃する姿勢になっているから、
こういう時は、ちょっと放置。
今は、何を話しても負け戦になる。
そう判断して、戦略的にあえてスルーする。
これがとってもおススメです。
一言、言いたくなるかもしれないけれど、思い出してほしいです。
先日書いたブログでも書いた通り、「どう思われたって、究極どうでもいい。」
究極、どう思われたって、どうでもいいー私が「自分を後回しにする人生」を卒業した理由
これです。
相手の感情、表現、考え方はあなたのものじゃない
そして、境界線の視点に戻ると、
「どうしてそんな風に思われないといけないの」
って、相手の感情、表現、考え方にいちいち首を突っ込んでいる状態です。
「そんな風に思った」のは誰か。
それは、相手。自分ではないんです。
この時点で、相手のものなんだって、びしっと線を引く。
相手が「そんな風に思う自由はあるか?」と聞いたら、もちろんある。
もちろん、あなたにとって全く気に入らない「そんな風」でも。
相手が何を思い、どう表現するかに、コントロール権はなし。
相手を色々ジャッジするのは、全部、自分側。
どう、ジャッジしようが、相手のものはやっぱり相手のものなんです。
だから、「どうしてそんな風に思われないといけないの」と、
傷ついたり、怒りの気持ちがわいてきたら、
「そんな風」自体は、「そもそも、相手のもの。私には一切関係なし。」と切り離していく。
もちろん、その内容から、今後こうしたい、ああしたい
って自分ごととして出てきたものは、自分のもの。
けれど、自分の感情を揺さぶった相手の表現、言葉、態度自体は全部相手のもの。
一瞬、感情的になり、
「どうしてそんな風に思われないといけないの」って思って当たり前。
全然大丈夫です。
大切なのは、そのあと、一息ついて、「そもそも、相手のものだね」と切り離す。
少し時差があっていいんです。
自分を大切にできるようになってくると、時差がどんどん短くなっていきますよ。
もし今、
・頭の中が散らかっている
・自分の気持ちや考えを言葉にしたい
・これからの方向性を整理したい
と感じていたら、もやもや言語化セッションで自分の気持ちを丁寧に言葉にする時間を用意しています。
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。▶ プロフィール







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