【自分の人生に満足していない理由】足りないに注目し、足りないを満たす日々を送っていませんか?

悩みの正体

自分の人生に満足していない時の状態と言うのは、「自分は足りない」と思っています。現実にないものにフォーカスしている時です。

満足とは、足を満たすと書いてあります。足がないと思っている状態は、満足していない時です。つまり、「足りない」ということです。

では、何が足りないのでしょうか?

お金?
愛?
役職?
友人?
容姿?
健康?

・・・

その他諸々、色々あると思います。

「足りない」と思っているから、満足しないんです。

なので、人生に満足しようと思う人が、自分の足りないことをさっさと満たせば、満足できると思って、頑張るのですが、完全に罠です。

足りないと思っているから、満足しないのに、足りないものによりフォーカスして、満足をしようとするのは、もっと、余計に「足りなさ」にスポットライトを当てる行為です。結果、より満足しなくなります。

そして、今、足りないことに注目している人が考えていることは、「もう少し足りたら・・・」と言う思考です。

・・・

・・・

・・・

このループをやり続けている限り、自分の人生に満足することなんて、死ぬまできません。

時間も資源も限界はあり、1日にやれることにも限界はあり、食べられる量も限界があり、歩ける量だって限界はあります。

自分の人生に満足していない人は、ほぼほぼ「足りないを埋めないと幸せになれない」という思考に惑わされている場合があります。

いつか満足した日が来るために、今日の1日を不満足で過ごすなら、人生の大切な1日を棒に振ったようなものです。

特に、20代の若い世代は年齢的なこともあり、可能性は無限という、前提が間違えてしまいがちで、このように考えがちです。

前提は「無限」でも、「限りなく無限に近い・・・」でもなく、「有限」つまり、「限界はある」です。

人間としての能力的な限界もあるし、100%死にますし、今持っているものも、死後、全て他の誰かの所有物になるか、消えてなくなるというのが事実です。

だから、まず前提条件として「限界」を認めると、次第に見え方が変わってきます。

足りないことを満たすことで、満足を得ようとすると、一つのことに満足したら、次の足りないことに目がいくのは時間の問題でしょう。

いつまで、それをやり続けるかは死ぬまでです。

自分の人生は、自分が「足りない」と認識したことを、満たすことを追求することが人生だと決めるなら、確かに成立するかもしれません。

ただ、自分が「足りない」と認識し続けることは、心がとっても重くなりますよね。常に欠乏状態、常に「何かが違う」というものを背負っていかないといけないからです。

自分の人生に満足していない理由が「足りない」にフォーカスしているからというのが認識できると、自分の「足りている」ことにフォーカスすればするほど、満足できると認識できるようになっていきます。

ただ、自分に厳しい人は、それでは、成長がないではないか、と思いますか?

心は「状態」です。

自分の心が満たされ、満足している状態で、勉強に励んだり、仕事に励んだり、子育てするのはどうでしょう?

自分の心が満たされ、満足している状態で、庭を整え、車の掃除をし、料理を作るのはどうでしょう?

自分の心が満たされ、満足している状態で、旅行に行き、新しい経験をし、出会ったことのない世界を知るのはどうでしょう?

「足りない」と思って、焦りや不安や、満たされない状態で取り組むより、もっと成長でき、楽しく過ごせるのではないでしょうか。

成長のために「足りない」と思わないといけないと思う必要は全くありませんよ。

足りていること、大丈夫なこと、与えられていること、満たされていることにどんどん注目して、心軽くなって、幸せになってください。

 

 

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