人に合わせてしまって自分軸がない!?「これが私ですけれど、何か?」を持つ

悩みの正体

悩みっていうのは、「これが私なんですけれど、何か?」って言えるようになると、ほとんど解決し始めます。

つまり逆を言えば、「これが私なんですけれど、何か?」が言えないことが、悩みになるんですね。

今回は、悩みの正体ともいえる自分軸がないことについて、取り上げます。

比較してしまうのは当たり前。比較によって自分を知れる。

人と点数を比較してしまったり、人と収入を比較してしまったり、また人と家庭環境を比較してしまって悩んでいる時のことを考えます。この時は、比較することによって、自分は劣っているかも、うまくいっていないかもとか、そんなことを考えているんですね。

もう、悩みたくない!となると、じゃあ、人と比較するのをやめよう!と次に考えると思います。でも、比較って簡単にやまらないんですね。なぜかというと、「自分」って言うものがない時には、人と比較することでしか、自分が定義できないんです。

イメージとしては、自分の家の敷地がどこからどこまでかっていうことを、自分がちゃんと把握していたら、境界線がひけるんですね。

でも、もし自分で家の敷地を把握していなく、ちゃんと決めていないんだったら、他の人が建てていく家の様子を見て、「あ、あの人はここまで建てている。」「この人はここを線にしている。」「つまり、自分はこの部分を、自分の家にしていいのかな?」ってなってしまうわけですよ。ある意味、消去法的なんです。他人の行動を見て、「あ、自分はここの位置に居ていいのかな。」と決めるんですね。

なので、自分のことがよくわかっていないと、むしろ、他人を見ることは普通だし、逆に見ないと自分が益々分からないという現実が起きるんですね。

だから「人と比較してしまうんです!」っていう風になった時に、人と比較するのをやめようとしてもやまらず、そもそも自分がないから、比較っていうのはむしろ必要不可欠なものになってしまっているんです。

「これが私ですですけど、何か?」

ここで大切なのが、「これが私ですけれど、何か?」っていう、勇気を持つ必要があるんですね。

他人のお伺い行動をしたり、人が言ってきたら、自分の意見をようやく出すとか、そういう風じゃないんです。他人がイエスと言おうが、ノーと言おうが、「これが私なんですけれども、何か?」それこそ、「何か文句ありますか?」くらいの態度で、堂々と生きて大丈夫なんです。

でも育てられ方とか、育った環境とか、その他さまざまな要因もあって、「何か?」っていう風に言えなくなってしまったんですね。

その状態だと、すぐに他人との比較に逃げてしまったりして、自分っていうものをどんどん失ってしまうんですね。

なので、もし何か自分で自信がなかったりとか、誰かに対してなかなか正直になれなかったりとか、人の顔色を使ってしまったりとか、見栄を張ってしまったりとか、何か自分が十分でないような気持ちになってしまったりした時は、すべて心にとって、とっても重い状態ですから、そういうことが続く時は、「これが私ですけれども、何か?」っていう勇気を持つようにしてください。

まずは信頼できる家族に正直になることから始める

このような勇気を持つのを始めやすいのは家族です。他の他人に対しては、一旦伏せておいてもいいですが、少なくとも、信頼できる家族の 1人くらいは、正直になってみてください。

正直になるやり方としては、自分の中で何かあまりうまくいっていないなとか、あとは、大したことないなと思ってる結果なり、人間関係なり、数字なり、何でもいいですけれども、そういうものに対して、「今の私は、実はこれなんだ。」っていうことを、正直に言うんです。

信頼できる家族 1人でいいですから、言ってみてください。もし、家族の中に1人も信頼できる人がいなかったら、メッセージで私に送って下さい。

そして正直に言ったことに対して、彼らが何を言おうが関係ないんですね。「これが私ですけれど、何か?」っていう態度で、正直に言ってみてください。実際に「これが私なんですけど、何か?」って言う必要はないですよ。

ただ、相手が何をしようが、動じないっていうことです。

そうすることで、どんどん自分自身が自分の境界線っていうのを持てるようになってきます。これが私です。ここまでが私です。ということを、ちゃんと自分が自覚できるようになってきます。すると、等身大の自分で、正直に生きていくことができるようになっていきますよ。

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