心が追いつかないまま、人間関係を続けてきたときに
自分の気持ちが追い付いていないのに、
いい人であろうと、かっこいい人でいようとして、
人間関係の中で感じる些細な気持ちをないがしろにし続けると・・・。
いつか爆発します。
伝えたいことは、爆発した自分を責めないこと。
まして、爆発した自分を、人間関係はまだまだとか、
境界線が引けていないなんて分析しない。
爆発した時に、気づいてほしいこと。
それは、「相当我慢していたんだよ」ということ。
で、何を我慢していたのかをちゃんと言葉にしてみてほしい。
いきなり相手を動かそうとしたり、
あの人がこうだったらって自分以外のところに飛ぶんじゃなくて。
自分が一体全体何に我慢していたのか。
そんな我慢していたことを、良かったら書き出してみてほしいです。
もし私が書き出すとすると、
本当は義理の兄夫婦に色々仕切られるの、嫌だったけれど、
荒波立てずに我慢していたなとか、出てくる。
そういう我慢をどんどん書き出してみる。
本当は○○だけど、△△みたいな形式で。
で、なんでこんな作業しないといけないかではなくて、
なんでこの作業するのが億劫なのかについて。
我慢していたことって、我慢していたことだから、
過去の事だったり。
もう変えられない事実だったり。
もちろん今現在進行形のこともあるけれど。
我慢していたことで、自分が色々考えて判断して、
「我慢する」ってことが一番合理的というか、
一番折り合いがつくからこそ、我慢したわけ。
だから、いまさらそんなことを光にさらしたって、「意味ない。」
こういう感覚があるんです。
だから、改めて、「我慢していたんですよ」なんて言われても、
「うん、そうだけど・・・」って、・・・で終わっちゃうの。
それ以外の選択肢をやるほうがもっとエネルギーがいるというか、
現実に荒波が立つような気がしたから。
だから、自分が我慢していたことをいちいち見るなんて億劫どころか、
「ばかげている」って思うのもとても自然。
それでも、我慢していたことを言葉にする意味があると伝えたいです。
それは、何かを変えるためじゃない。相手に伝えるためでもない。
ただ、「私はここで、こう感じていた」という事実を、
他でもない自分自身が知るため。
こうやって自己認識が整っていくんです。
爆発は、抱えていた我慢が限界を超えた、ただのサインだっただけ。
それを見なかったことにして、またいい人に戻るほうが、ずっと自分を置き去りにする。
自分を置き去りにする、後回しにするの、そろそろやめていきませんか。
サインだったと心底分かれば、どうこうしようとしなくても、
自分がしたいことは自然に見えてくる。
これ以上、自分を無かったことにしない。
自分を大切にすること、堂々とはじめていこう。
もし今、
・頭の中が散らかっている
・自分の気持ちや考えを言葉にしたい
・これからの方向性を整理したい
と感じていたら、
もやもや言語化セッションで自分の気持ちを丁寧に言葉にする時間を用意しています。
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。








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