心が追いつかないまま、人間関係を続けて爆発してしまった時は?
人間関係の中で、違和感を感じながらも、些細な気持ちをないがしろにし続けていませんか?これをし続けると、いつか爆発してしまいます。
そして、爆発した自分を責めたり、否定的にジャッジしていませんか?
今回は、そんな自分に厳しくなりすぎている気持ちについて、取り上げたいと思います。
目次
「相当我慢していたんだよ」というメッセージ
感情的に爆発してしまったときに、気づいてほしいメッセージ。
それは、相当我慢していたんだよ!ということです。
爆発は、もう自分の中に留めておけなくなったものがあふれ出したものなんですね。
だから、表面的な「爆発してしまった(感情的になってしまった)」という表面の部分だけを見ても、自分のことが見えてきません。
むしろ、そうなってしまう思考パターン、反応癖が隠れているはずです。
だからこそ、爆発してしまったときは、「何を我慢していたのだろうか?」をちゃんと言葉にしてみてください。
特に人間関係での衝突だと、いきなり相手を動かそうとしたり、変えさせようとしたりと、自分以外のところに飛んでしまうことがあります。
でも、自分の中にため込んでしまったものは、相手ではなく一歩立ち止まって、自分が一体全体何に我慢していたのか、ここに答えがあります。
そして、我慢していたことを、書き出してみてください。私自身は以前、こんなことを書き出しました。
本当は義理の兄夫婦に色々仕切られるのではなくて、自分の意見も言いたかったけれど、荒波立てずに我慢していたなとか。
そういう我慢をどんどん書き出してみてください。
我慢を見つめる作業を避けたくなる理由
実は、「書き出してみて下さい」と言っても、この作業するのが億劫に感じませんか?さらっと流したくなりませんか?
というのも、我慢していたことって、言葉通り「我慢していたこと」であって、それは、自分なりの意味があって抑え込んできたことなんです。
同時に、振り返ったところで、過去の事だったり、もう変えられない事実だったりもするんですよね。
我慢していたことは、「無理」があったものですが、ただ無理をしていたわけでもありません。なんとなく「我慢」していたというよりも、自分が色々考えて判断して、「我慢する」ということがその時の自分には、一番折り合いがつくからこそ、我慢していたりするんです。
だから、今更、明るみにして、改めて、「我慢していたんだな」となっても、そこから先が見えづらいんですね。
自己認識が整えていくこと
それでも、我慢していたことを言葉にすることには、意味があります。それは、何かを変えるためでも、相手に伝えるためでもなく、ただ、「私はここで、こう感じていた」という事実を、他でもない自分自身がちゃんと知るためなんです。こうやって自己認識が整っていくんですね。
これは、すごくメリットがあります。未来に行っても、生きるのは自分です。自分のパターンや癖をちゃんと把握して、歪みを整えていく作業って、未来への投資そのものなんです。
自分を理解することは、自分を責めることとは全く違います。爆発は、抱えていた我慢が限界を超えたというサインだっただけです。
つい、「爆発してしまったこと」に注目しがちですが、問題は、そこに至るまで、自分の気持ちを見ないまま過ごしてきた時間にあります。
だから「私は何を我慢していたんだろう」と問いかけてみることは、積み重なっていた気持ちにちゃんと目を向けることなんです。これをしていくと、似たようなことでイライラすることを繰り返すことがどんどん減っていきますよ。








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